日语论文 从奇偶数观分析中日的数字文化.docx
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日语论文从奇偶数观分析中日的数字文化
学士学位论文
论文题目:
从奇偶数观分析中日的数字文化
姓名王晓鹏
学院外国语学院
专业日语
年级2008级
学号20081411123
指导教师倪秀梅
2012年5月25日
奇偶観から見る中日の数字文化
学生氏名:
王 暁 鵬
指導教官:
倪 秀 梅
魯東大学外国語学院学士学位申請論文
2012年5月25日
独创声明
本人郑重声明:
所呈交的毕业论文,是本人在指导老师的指导下,独立进行研究工作所取得的成果,成果不存在知识产权争议。
尽我所知,除文中已经注明引用的内容外,本论文不含任何其他个人或集体已经发表或撰写过的作品成果。
对本文的研究做出重要贡献的个人和集体均已在文中以明确方式标明。
此声明的法律后果由本人承担。
作者签名:
2012年5月25日
毕业论文使用授权声明
本人完全了解鲁东大学关于收集、保存、使用毕业论文的规定。
本人愿意按照学校要求提交论文的印刷本和电子版,同意学校保存论文的印刷本和电子版,或采用影印、数字化或其它复制手段保存论文;同意学校在不以营利为目的的前提下,建立目录检索与阅览服务系统,公布论文的部分或全部内容,允许他人依法合理使用。
(保密论文在解密后遵守此规定)
论文作者(签名):
2012年5月25日
毕业论文选题报告
姓名
王晓鹏
性别
男
学院
外国语学院
年级
2008级
学号
20081411123
论文题目
从奇偶观看中日的数字文化
奇偶観から見る中日の数字文化
课题来源
教学
课题类别
基础研究
选做本课题的原因及条件分析:
中日两国文化因其特殊的历史渊源,相互之间有着千丝万缕的联系。
而作为两国文化一个缩影的数字,都有着丰富的内涵。
数字在中日两国都有着极其广泛的应用。
比如婚礼葬仪上的数字应用,有哪些忌讳用语,又有哪些祈福用语等等。
通过比较中日两国数字文化的异同及其形成的原因,进而从一定程度上比较中日两国文化上的差异,对于更好地了解中日两国文化历史渊源,进而促进两国正常交往有着重要的意义。
在最初的准备阶段,倪秀梅老师对选题、材料准备给予了很大的支持和帮助,并对论文结构及写作方法提出了宝贵建议。
而且,因为之前对数字的文化内涵就比较感兴趣,又收集了许多的相关资料和书籍。
期间,又从吉成直树老师那里得到了许多建议,因此写这个论题感觉比较有信心。
指导教师意见:
该选题以中日两国数字文化为中心,从历史渊源、形成原因以及具体表现等角度进行了考察,选题资料充分,目的明确,思路清晰,同意该选题。
签名:
2011年12月25日
学院毕业论文领导小组意见:
(签章)
2012年1月5日
毕业论文开题报告
姓名
王晓鹏
性别
男
学院
外国语
学院
年级
2008级
学号
20081411123
预计完
成时间
2012年
5月25日
论文题目
从奇偶观看中日的数字文化
奇偶観から見る中日の数字文化
课题来源
教学
课题类别
基础研究
指导教师
倪秀梅
毕业论文实施方案:
第一阶段是搜集与阅读资料准备开题阶段;
第二阶段是撰写成文阶段,在对资料充分分析的基础上,拟定论文的提纲,计划于三月中旬完成初稿;
第三阶段是修改定稿阶段,计划于五月底之前完成定稿。
论文主要内容(提纲):
1.0はじめに
2.0先行研究
3.0日本人の数字観について
3.1日本人の数字観の由来
3.2日本の「三」、「五」、「七」文化
3.3日本人の「三」、「五」、「七」以外の数字に対しての印象
4.0中国人の数字文化
4.1「四」と「八」の特別なところ
4.2中国の奇数文化
4.3奇数と偶数の数字文化
5.0中国の数字文化と日本の数字文化の比較
5.1数字観からの相異
5.2文化価値観からの相異
6.0終わりに
指导教师意见:
该选题提纲明确,进度安排合理,资料翔实,内容完整,进行研究考察和资料分析充实,以中日数字文化中心,展开研究,进而进一步研究中日文化,具有现实意义。
同意开题。
签名:
2012年3月15日
学院毕业论文领导小组意见:
(公章)
2012年3月17日
毕业论文结题报告
姓名
王晓鹏
性别
男
学院
外国语学院
年级
2008级
学号
20081411123
论文题目
从奇偶观看中日的数字文化
奇偶観から見る中日の数字文化
课题来源
教学
课题类别
基础研究
指导教师
倪秀梅
本课题完成情况介绍(包括研究过程、实验过程、结果分析、存在的问题及应用情况等。
)
通过阅读先行研究,大体上提出了论文的提纲。
但是在具体写作过程中却是困难重重。
比如从哪些角度来比较中日数字文化,以及怎样往深处挖掘一下论文的深度,都遇到了很大的问题,通过老师的悉心指导和自己大量的阅读,稍微改善了一下,论文研究写作才得以进行到底。
通过研究,对中日数字文化的差异有了初步的了解,并且调查研究的过程中,也使自身日语水平有了一定提高。
希望我的研究对于其他对中日数字文化感兴趣的人有所帮助。
由于本人能力所限,论文不足之处还有很多,在今后的工作学习当中继续以中日数字文化为契机,深化对中日文化差异的研究。
指导教师意见:
该论文以按进度完成三稿写作。
论文内容充实,语言文法统书,格式正确,论述引用出典明确,结论清晰,归纳完整,同意结题。
签名:
2012年5月25日
学院毕业论文领导小组意见:
(公章)
2012年5月30日
论文成绩
摘要:
说起数字,很多人可能会觉得很抽象,认为数字仅仅就是一个符号而已。
其实不然。
在以中国文化为核心的东方文化中,就是这个被很多人认为仅仅是一个符号而已的数字,却往往蕴藏着许许多多的内涵,凝聚着中华民族五千年文明的智慧。
而作为自古以来就深受中国文化影响的日本来说,同样如此,只是随着时代的发展和社会变迁,又出现了许多不同的含义。
本文旨在通过对中日数字文化这一两国文化中的一个小小的方面进行比较,寻找异同,进而为以后进一步研究中日文化的差异提供参考。
关键词:
数字观;文化;差异
要旨:
数字ときたら、抽象で、ただ一つ一つの目印という感じがしているかもしれないが、実はそうではない。
特に中国文化を中心としている東方文化には、ただ一つの数字の中にも豊かな知識が含まれている。
中華民族の五千年の智慧を凝集しているのである。
同じように、古代から中国の影響を深く受けていた日本もそうである。
しかし、歴史や時代によって、日本文化は自分の特徴がある。
本文は中日数字文化の相異を研究することを旨にして、それから中日文化の研究のために基をつきたいとしている。
キーワード:
数字観、文化、差別
謝辞
本論文の作成は倪秀梅先生からご多忙中にもかかわらず、貴重なご指導を承りまして、心から感謝の意をお表し致します。
またこの論文が最初の段階から進行中ご熱心に励ましてくださった方々にもお礼を申し上げます。
目次
1.0はじめに…………………………………………………………………………………………1
2.0先行研究…………………………………………………………………………………………2
3.0日本人の数字観について………………………………………………………………………2
3.1日本人の数字観の由来………………………………………………………………………2
3.2日本の「三」、「五」、「七」文化……………………………………………………………3
3.2.1「三」について………………………………………………………………………………3
3.2.2「五」について………………………………………………………………………………4
3.2.3「七」について………………………………………………………………………………5
3.3日本人の「三」、「五」、「七」以外の数字に対しての印象………………………………5
4.0中国の数字文化………………………………………………………………………………7
4.1偶数「四」と「八」について………………………………………………………………7
4.2中国の奇数文化………………………………………………………………………………7
4.3奇数と偶数の数字文化………………………………………………………………………8
5.0中国の数字文化と日本の数字文化の比較…………………………………………………11
5.1数字観からの相異………………………………………………………………………11
5.2文化価値観からの相異………………………………………………………………………11
6.0終わりに………………………………………………………………………………………12
注…………………………………………………………………………………………………13
参考文献……………………………………………………………………………………………14
1.0はじめに
私は日本語専門の学生だから、四年間日本語を勉強する経験は私に日本文化を好ませてくる。
特に、中日数字文化に対しては非常に興味をもつようになった。
因みに、私たちが日頃から何気なく使っている「数」には、単に数量を表す言葉としてだけでなく、伝統に基づいた意味がこめられていることがよくある。
日本も中国もそうである。
たとえば、日本では、畳一帖の「一帖」は、かつての日本の成人男子が横臥して寝られる広さを基準に決められている。
その畳を二つ合わせると「一坪」であるが、これも成人男子が生きていくのに必要な一日分の稲が取れる耕地の広さが、目安になっているといわれる。
どちらも、その後の日本人の体格の変化や生産技術の向上などで、実情は大きく変わってしまう。
亦、日本は言葉に霊魂が宿ると考える「言霊」の国で、その音や意味から、「二」や「四」を忌み嫌う傾向があるのはみんなに知られている。
現代でもご祝儀袋には、「二」で割り切れる札数を入れるのが避けられているし、入院施設のある病院では、たとえ四階があるとしても、「四0一」など四のつく病室表示はしないものである。
同じように、中国ではこういうような実例がある。
古代中国文化の一分野としての天文学は昔が世界でも盛んであると思われる。
そして、その天文学は北斗七星への崇拝を主にして、また二十八星宿「せいしゅく」という知識も含めている。
実はともに古人が「七」を信仰する文化の一つの表現である。
また、中国の古典名著「西遊記」には唐僧師徒四人が「九九八十一難」を経験して、最後は仏教真経を取りしまう。
その「八十一難」は九を基数としての周期輪廻思想の反映であると思っている。
同じようにもう一つの中国古典名著「水滸伝」には百八の将がある。
それも九を基数をして天罡三十六星と地煞七十二星と分けているそうである。
だから、ただ一つの数字にも広い世界も見えると言われている。
実は中国文化、日本文化の由来についてさまざまな観点があるが、本論文では中日数字文化の比較を通じて中日文化の差別を少し見てみようと思っている。
2.0先行研究
2004年、日本の「イトイ新聞」という生活ニュースウエブサイトは全国で「日本人が好きな数字」についてアンケットをした。
その問題は主に「奇偶数に対しての好き嫌い及びその原因」や、「好きな数字」などである。
その結果、奇数が好む人は52.8%で、最も好きな数字は「三」、「五」、「七」そうである。
その結果から、日本人の耳には偶数より奇数が心地よいことが言えるであろう。
もう一つの例がある。
中国と日本の結婚式のお祝金を調べると、中国では対になっている夫婦二人を白髪まで幸せに生活していることを祝するために、偶数での祝金を包むしきたりがあるが、日本では結婚する二人が割れないように、分けられない奇数を祝金として包むというしきたりである。
また、中国では年寄りの六十歳の誕生日を人生の大事な誕生として盛んにお祝いをするのは一般的である。
しかし、日本では七十歳の誕生日は「人生七十古来稀なり」というような思想で非常に重視されている。
実は以上のような例が中日にはまだいっぱいあるが、では、中日数字文化はいったいどんな相違があるのだろうか。
中国の学界では、中日数字文化についての研究が多い。
渭南師範大学の田小凮先生が2006年発表した『数字観から見る中日文化』には、中国人は偶数が好き、日本人は奇数が好きで偶数が嫌いだと書いた。
また、中国人と日本人は数字に対して、共同なところもあり、それは同音原則、心理性原則と実用性原則であると分析した。
厦門大学の林捐捐さんは論文『中日数字文化の民族特性』で中国人が偶数が好きで、
日本人が奇数が好きであるが、中日ともに数字「八」がすきであること、それに、「八」が好きな理由は違うこと、また、中国人は「九」、「四」が好きで、日本人は「九」、「四」が嫌いであることについて論述した。
山東師範大学の盧永妮さんは『日本の数字文化』に主に「日本人が好きな数字」と「日本人が嫌いな数字」という二つの方面から日本の数字文化を述べた。
それから、文化上と風俗上好きな数字についても論述した。
また、南通大学の姜掦さんが主に「三」、「五」、「七」を中心に『日本人の数字文化』という論文を書いた。
実はわれわれ中国人が数字に対しての感情はとても複雑で、簡単に偶数がすきではないと思っている。
しかし、調べた限り、そういう内容を論述した論文があまりなかった。
その疑問を持って、本文は主に奇偶観から中日のそれぞれの数字文化を一緒に研究したいのである。
3.0日本人の数字観について
3.1日本人の数字観の由来
古代中国で儒家文化は最も盛んでいた。
そこから、この儒家文化に陰陽思想という経典がある。
この陰陽思想は中国人に広く使われている。
簡単に言えば、陰陽思想は奇数が陽として縁起のいい数字で偶数が陰として縁起の悪い数字であると考えられる。
4世紀ごろ陰陽思想が日本に伝えていった。
一方、日本民族つまり大和民族はそれなりの平衡観と美意識を持っている。
たとえば、中日の代表的な国画つまり水墨画と日本画を比べると、水墨画に余白部分は単調を避けるためにいつも詩や文などで補っている、しかし、日本画にいつも余白部分をそのままにしておく。
これは日本自分的な奇偶観であろう。
長い間で陰陽思想と日本の伝統文化が融合していて、今の数字観を形成している。
それでは、日本人が奇数に対しての印象はどうであろう。
3.2日本の「三」、「五」、「七」文化
3.2.1「三」について
日本では、「三」は聖数とされ、尊ばれてきた。
「三人寄れば文殊の知恵」や「石の上にも三年」や「三度目の正直」など、「三」でつくった格言やことわざは非常に多く、この数に意味を見出していたことがうかがえる。
また、「三種の神器」、「御三家」、「三大〇〇」というようにさまざまな物事をくくりで表現することも良く行われてきた。
これも、「三」という数がもつ縁起のよさと安定性から来ているのであろう。
日本の結婚式で「三三九度」という儀式がある。
夫婦になる男女が御神酒を飲み交わして契りを結ぶ大事な儀式だ。
「三三九度」では大中小の三つの杯が使われる。
小の杯に巫女がちょんちょんちょんと三度に分けて御神酒を注ぐ。
それを新郎が三口で飲み干す。
次に新婦も同じように三口で飲み干す。
次に、中の杯は新婦、新郎の順で飲み干す。
大の杯はまた新郎が先に飲み、次に新婦が飲み干す。
このように、三つの杯から三度ずつ、合計九回にわたって御神酒を口にすることから「三三九度」といわれているのである①。
元来、陰陽道では奇数は陽数といわれているのである。
日本で縁起のいい数とされてきた。
中でも「三」は天·地·人を表す、特にめでたい数である。
めでたい数を三つ重ね、陽数の中でも最も大きい「九」にするということは、結婚式の晴れ舞台にふさわしい最上級のめでたさを表現していることになる。
三三九度には、同じ杯に口をつける事で赤の他人から身内になるという意味もこめられている。
そのため、三三九度は「夫婦固めの杯」、或いは「親族固めの杯」ともいわれている。
と同じように「式三献」という儀式もある。
「式三献」とは祝いの宴に咲きたって催された儀式で、まず一の杯に注がれた酒を主客より順に列席者が飲んでいく。
これを一献とし、二の杯、三の杯を順番に回し飲んで三献となる。
また、皆知っている「三種の神器」とは皇位継承の徴として天皇に受け継がれる三種の宝物をさす。
それは八尺鏡、八尺瓊勾玉、草薙剣である。
この三つの宝物は天孫降臨の際、地上に降りるニニギノミコトに天照大神が授けたものとされている。
以上のように「三」にまつわる諺がいっぱいある。
たとえば、ことわざの「前菜に三種盛りが多いのはこの名残」や「内三役」や「三念」などで、成語の「子は三回の首枷」、「仏の顔も三度」、「早起きは三文のえ」などいろいろある。
「三」はもう一つの名数の代表格になっている。
これらは大体古代日本人が「三」に対しての態度である。
実は「三」に対しての好みは時代の発展にもかかわれず変わっていない。
日本高知市の弥生町で「地球333号」という地名がある。
この地方は北緯33度33分33秒と東経133度33分33秒の交差点に位置しているから、そういう地名を得たそうである。
毎年三月三日に大勢の人がここに来てお祝いをする。
面白いのはそういう活動の具体な時間は午後3時33分33秒で、と同時に333匹の鳩が放し飛ばれているのである。
もう一つのは、近十年以来、社会に影響力がある流通語を見れば「三Y女」、「三J男」、「三言息子」などの言葉が見出せる。
3.2.2「五」について
中国文化の影響を強く受けてきた日本においても「五」は尊い数とされているが、陰陽五行説などが入ってくる以前から、「海、山、川、木、草」を「五魂」と呼んだり、高天原から降ったといわれる五人の神を「五伴緒神」といったように、「五」という数を神聖視してきた。
因みに、日本人が「五」といえば、「五節句」と思い出す。
中国の暦法が日本に伝来した後、日本古来の農耕を祝う風習が結びつき、定められた日に宮中で催された邪気を払う「節会」と呼ばれる宴会が開かれるようになる。
江戸時代になると、幕府はこのうちの五つを「五節句」として式日に定め、公式の行事を行うようになった。
中国暦法同様、奇数が重なった日を節句としているが、一月一日だけ別格とし、代わって一月七日を取り入れている。
つまり、以下のことである。
一月七日-----人日の節句
三月三日-----桃の節句
五月五日-----端午の節句
七月七日-----七夕の節句
九月九日-----重陽の節句
五月五日「端午の節句」は古代中国で薬草を採取する日で、毒気を祓うものとして菖蒲を家や体につけて邪気を祓ったことから由来である。
中世日本で菖蒲が「尚武」に通じることから、武家の行事として盛んになり、男の子の節句となっていた。
五が重なる五月五日は「重五」といわれ、病気や災厄を祓う節句の日とされていた。
山野に出て薬草を採取したり、菖蒲酒を飲んで邪気を祓う行事が行われていた②。
このように「五」という数字を用いる場合はたくさんある。
日本では「五七調は日本人の耳に心地よい」という話がある。
短歌は「五七五七七」、俳句は「五七五」のように、日本の伝統的な詩歌は五音と七音で構成されている。
最も有名なのは、たとえば、松尾芭蕉の「古池や 蛙飛び込む 水の音」とか、「静げさや 岩に染み入る 蝉の声」などである。
日本では「五」も一つの名数になっている。
「五」にまつわる成語やことわざも数えられない。
「五風十雨」とか「五月の鯉の吹流し」とか「一寸の虫にも五分の魂」など時々日本人の日常会話に用いられている。
これらを通じて日本人が「五」に対しての深い思いが少し見られると思う。
3.2.3「七」について
昔の中国人は月の運行は七日ごとに様相を変えていくことを発見した。
そして、この月の変化を時をとらえる尺度年、暦の基準とした。
この暦も日本に伝えられて広く使われて、そこから、「七」は日本で特別な数字と考えられるようになり、生後七日目にお七夜の誕生祝を行ったり、法要も初七日四十九日など七日を単位として行うようになった。
また「七賢人」、「七福神」、「南都七大寺」、「七堂伽藍」など個性あるものをまとめる数詞としても良く使われている。
「三」、「五」と同じように、「七」にまつわることわざや成語も非常に多い。
「男は閾をまたげば七人の敵あり」とか「親の光は七光り」とか、「臨機は女の七つの道具」とか、「なくて七癖」とか「七転び八起き」とか、「兎も七日なぶれば噛みつく」など日本人はよく口に出す。
以上の例で、日本人は本当に「三」、「五」、「七」が好きだということがよく分かる。
その原因は中国文化と日本伝統文化の融合することにあると思う。
しかし、「三」、「五」、「七」以外の数字に対してはどうであろうか。
3.3日本人の「三」、「五」、「七」以外の数字に対しての印象
以下は主に四つの面から検討してみようとする。
1.神話
日本には昔数字「二」に関する神話がひとつある。
日本の国産みの神様であるイザナギとイザナミは協力して、日本の国をつくったが、最後に産み落とした神々のせいでイザナミは命を落としてしまい、一と一に分かれる。
そして、イザナミを蘇らせようと黄泉の国まで追いかけて行ったイザナギは、イザナミとの約束を破り、その姿を見てしまう。
怒ったイザナミは逃げるイザナギを追いかけたが、イザナギは何とか逃げ切った。
悔しがるイザナミは「これから地上に住む人間を一日千人ずつ殺します」という。
すると、イザナギは「ならば、私は一日千五百の産屋を建てる」と宣言した。
こうして、人間は死なねばならない運命が定まったといわれている。
この神話が示したように、「二」は分けやすいという特徴があり、あまりいい数字ではないと思われている③。
2.発音
日本では、皆知っているように「四」は発音が「死」と同じなのである。
それで、日常生活では「四」を好む人はあまり多くないのである。
同じように、「九」は発音が「苦」と同じなので、忌み嫌う数字になってしまう。
亦、「六」は「碌」と同音で、そして、「碌」は否定表現を接するため、あまりいい数字ではないと思われている。
3.意味
「一」は物事の一番初めの数字である。
昔から「一」は、最も優れたものを表す数と考えられてきた。
日本で「一」にまつわる諺がひとつある。
それは「一の裏は六」なのである。
サイコロの一の目の裏は六の目である事から、悪いことの後にはよいことが巡ってくるということである。
また、太陽と月、男性と女性、昼と夜など、この世を形作るあらゆる物事を陰と陽という対で考えてきた陰陽思想において、「一」はその対を構成する基本要素としても尊ばれてきたのである。
4.字形
「新明解国語辞典」に「八」に対しての解釈にはこういう言葉がある。
和語の八つ「やっつ」が「弥」に通じ豊かの意に多く用いられる上に、字形が末広がりで縁起が良いとする向きがあります。
」ということである。
また、もう一つは「八」は形が富士山と同じようにしていて、縁起のいい数字だというのである。
では日本人は「三」、「五」、「七」そして「八」が好