枕草子日语原版.docx

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枕草子日语原版.docx

枕草子日语原版

《枕草子》

(一段)

   春は曙(あけぼの)。

やうやう白くなりゆく山際(やまぎわ)、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

   夏は夜。

月の頃はさらなり、闇もなほ、螢(ほたる)飛びちがひたる。

雨など降るも、をかし。

   秋は夕暮(ゆうぐれ)。

夕日のさして山端(やまぎわ)いと近くなりたるに、烏(からす)の寝所(ねどころ)へ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び行くさへあはれなり。

まして雁(かり)などのつらねたるが、いと小さく見ゆる、いとをかし。

日入(ひい)りはてて、風の音(おと)、蟲の音(ね)など。

(いとあはれなり。

   冬はつとめて。

雪の降りたるは、いふべきにもあらず。

霜などのいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭(すみ)持てわたるも、いとつきづきし。

昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、炭櫃(すびつ)・火桶(ひおけ)の火も、白き灰がちになりぬるはわろし。

  (二段)

   頃(ころ)は、正月、三月、四・五月、七・八月、九・十一月、十二月。

すべてをりにつけつつ。

一年ながらをかし。

  (三段)

   正月一日は、まいて、空の景色うらうらと珍しく、かすみこめたるに、世にありとある人は、姿容心ことにつくろひ、君をもわが身をも祝ひなどしたるさま、殊(こと)にをかし。

   七日は、雪間の若菜青やかに摘み出でつつ、例はさしもさる物目近からぬ所に もてさわぎ、白馬見んとて、里人は車きよげにしたてて見にゆく。

中の御門の閾ひき入るるほど、頭ども一處にまろびあひて、指櫛も落ち、用意せねば折れなどして、笑ふもまたをかし。

左衞門の陣などに、殿上人あまた立ちなどして、舎人の弓ども取りて、馬ども驚かして笑ふを、僅に見入れたれば、立蔀などの見ゆるに、主殿司、女官などの、行きちがひたるこそをかしけれ。

   いかばかりなる人、九重をかく立ち馴すらんなど思ひやらるる中にも、見るはいと狹きほどにて、舎人が顏のきぬもあらはれ、白きもののゆきつかぬ所は、誠に黒き庭に雪のむら消えたる心地して、いと見ぐるし。

馬のあがり騒ぎたるも恐しく覺ゆれば、引き入られてよくも見やられず。

   八日、人々よろこびして走りさわぎ、車の音も、つねよりはことに聞えてをかし。

   十五日は、もちかゆの節供まゐる。

かゆの木ひき隱して、家の御達、女房などのうかがふを、うたれじと用意して、常に後を心づかひしたる景色もをかしきに、いかにしてげるにかあらん、打ちあてたるは、いみじう興ありとうち笑ひたるも、いと榮々し。

ねたしと思ひたる、ことわりなり。

   去年より新しう通ふ壻の君などの、内裏へ參るほどを、心もとなく、所につけて我はと思ひたる女房ののぞき、奧のかたにたたずまふを、前にゐたる人は心得て笑ふを、「あなかまあなかま」と招きかくれど、君見知らず顏にて、おほどかにて居給へり。

   「ここなる物とり侍らん」などいひ寄り、はしりうちて逃ぐれば、あるかぎり笑ふ。

男君もにくからず愛敬づきて笑みたる、ことに驚かず、顏少し赤みてゐたるもをかし。

また互に打ちて、男などをさへぞうつめる。

いかなる心にかあらん、泣きはらだち、打ちつる人を呪ひ、まがまがしくいふもをかし。

内裏わたりなど、やんごとなきも、今日はみな亂れて、かしこまりなし。

   除目のほどなど、内裏わたりはいとをかし。

雪降りこほりなどしたるに、申文もてありく。

四位五位、わかやかに心地よげなるは、いとたのもしげなり。

老いて頭白きなどが、人にとかく案内いひ、女房の局によりて、おのが身のかしこきよしなど、心をやりて説き聞するを、若き人々は眞似をし笑へど、いかでか知らん。

「よきに奏し給へ、啓し給へ」などいひても、得たるはよし、得ずなりぬるこそ、いとあはれなれ。

   三月三日、うらうらとのどかに照りたる。

桃の花の今咲きはじむる。

柳など、いとをかしきこそ更なれ。

それもまだ、まゆにこもりたるこそをかしけれ。

廣ごりたるはにくし。

花も散りたる後はうたてぞ見ゆる。

   おもしろく咲きたる櫻を長く折りて、大なる花瓶にさしたるこそをかしけれ。

櫻の直衣に、出袿して、客人にもあれ、御兄の公達にもあれ、そこ近くゐて物などうちいひたる、いとをかし。

そのわたりに、鳥蟲のひたひつきいと美しうて飛びありく、いとをかし。

   祭のころはいみじうをかし。

木々のこの葉、まだ繁うはなうて、わかやかに青みたるに、霞も霧もへだてぬ空の景色の、何となくそぞろにをかしきに、少し曇りたる夕つかた、夜など、忍びたる杜鵑の、遠うそら耳かと覺ゆるまで、たどたどしきを聞きつけたらん、何ごこちかはせん。

   祭近くなりて、青朽葉、二藍などのものどもおしまきつつ、細櫃の蓋に入れ、紙などにけしきばかり包みて、行きちがひもて歩くこそをかしけれ。

末濃、村濃、卷染など、常よりもをかしう見ゆ。

童女の頭ばかり洗ひつくろひて、形は皆痿えほころび、打ち亂れかかりたるもあるが、屐子、沓などの緒すげさせ、裏をさせなどもて騒ぎ、いつしかその日にならんと、急ぎ走り歩くもをかし。

   怪しう踊りて歩く者どもの、さうぞきたてつれば、いみじく、ちやうざといふ法師などのやうに、ねりさまよふこそをかしけれ。

ほどほどにつけて、親をばの女、姉などの供して、つくろひ歩くもをかし。

  (四段)

   ことごとなるもの  法師の詞(ことば)。

男女の詞。

下司(げす)の詞に、かならず文字あまりしたり。

(五段)

  

   思はん子を法師になしたらんこそは、いと心苦しけれ。

さるは、いとたのもしきわざを、唯(ただ)木のはしなどのやうに思ひたらんこそ、いといとほしけれ。

精進物のあしきを食ひ、寐ぬるをも、若きは物もゆかしからん。

女などのある所をも、などか忌みたるやうに、さしのぞかずもあらん。

それをも安からずいふ。

まして驗者などのかたは、いと苦しげなり。

   御獄(みたけ)、熊野(くまの)、かからぬ山なく歩くほどに、恐しき目も見、驗(しるし)ああり、聞こえ出できぬれば、ここかしこに呼ばれ、時めくにつけて、安(やす)げもなし。

いたく煩(わずら)ふ人にかかりて、物怪(もののけ)調(ちょう)ずるも、いと苦しければ、困(こう)じてうち眠れば、「ねぶりなどのみして」と咎(とが)むるも、いと所狹く、いかに思はんと。

これは昔のことなり。

今樣(いまよう)はやすげなり。

  (六段)

  

   大進生昌(だいじんなりまさ)が家に、宮の出でさせ給ふに、東の門は四足になして、それより御輿(みこし)は入らせ給ふ。

北の門より女房の車ども、陣屋の居ねば入りなんやと思ひて、頭(かしら)つきわろき人も、いたくもつくろはず、寄せて下るべきものと思ひあなづりたるに、檳榔毛(びりょうげ)の車などは、門ちひさければ、さはりてえ入らねば、例の筵道(えんどう)敷(し)きておるるに、いとにくく、腹だたしけれど、いかがはせん。

殿上人、地下なるも、陣に立ちそひ見るもねたし。

  

   御前(おまえ)に參りて、ありつるやう啓すれば、「ここにも人は見るまじくやは。

などかはさしもうち解けつる」と笑はせ給ふ。

   「されど、それは皆(みな)目(め)慣れて侍れば、よくしたてて侍らんにしこそ驚く人も侍らめ。

さても、かばかりなる家に、車入らぬ門やはあらん。

見えば笑はん」などいふ程にしも、「これまゐらせん」とて、御硯(おんすずり)などさしいる。

   「いで、いとわろくこそおはしけれ。

などてかその門狹く造りて、住み給ひけるぞ」といへば、笑ひて、「家のほど身のほどに合せて侍るなり」と答ふ。

「されど、門の限を、高く造りける人も聞ゆるは」といへば、「あなおそろし」と驚きて、「それは于定國がことにこそ侍るなれ。

古き進士などに侍らずば、承り知るべくも侍らざりけり。

たまたまこの道にまかり入りにければ、かうだに辨(わきま)へられ侍る」と言ふ。

「その御道もかしこからざめり。

筵道敷きたれば、皆おち入りて騒ぎつるは」と言へば、「雨の降り侍れば、實にさも侍らん。

よしよし、また仰せかくべき事もぞ侍る、罷(まか)り立ち侍らん」とていぬ。

「何事ぞ、生昌がいみじうおぢつるは」と問はせ給ふ。

「あらず、車の入らざりつることいひ侍る」と申しておりぬ。

  

   同じ局に住む若き人々などして、萬(よろづ)の事も知らず、ねぶたければ皆寢ぬ。

東の對の西の廂(ひさし)かけてある北の障子には、かけがねもなかりけるを、それも尋ねず。

家主なれば、案内をよく知りてあけてけり。

あやしう涸(か)ればみたるものの聲にて、「候(さぶら)はんにはいかが」と數多(あまた)たびいふ聲に、驚きて見れば、儿帳(きちょう)の後に立てたる燈臺の光もあらはなり。

障子を五寸ばかりあけて言ふなりけり。

いみじうをかし。

更にかやうのすきずきしきわざ、ゆめにせぬものの、家におはしましたりとて、無下(むげ)に心にまかするなめりと思ふも、いとをかし。

  

   わが傍(かたわら)なる人を起して、「かれ見給へ、かかる見えぬものあめるを」といへば、頭をもたげて見やりて、いみじう笑ふ。

「あれは誰ぞ、顯證(けしゅう)に」といへば、「あらず、家主人、局主人と定め申すべき事の侍るなり」と言へば、「門の事をこそ申しつれ、障子開け給へとやは言ふ」「なほその事申し侍らん、そこに侍はんはいかにいかに」と言へば、「いと見苦しきこと。

更(ことさら)にえおはせじ」とて笑ふめれば、「若き人々おはしけり」とて、引き立てていぬる後に笑ふこといみじ。

あけぬとならば、唯(ただ)まづ入りねかし。

消息をするに、「よかなり」とは誰かはいはんと、げにをかしきに、つとめて、御前に參りて啓すれば、「さる事も聞えざりつるを、昨夜のことに愛でて、入りにたりけるなめり。

あはれ彼をはしたなく言ひけんこそ、いとほしけれ」と笑はせ給ふ。

  

   姫宮の御かたの童女に、裝束せさすべきよし仰せらるるに、「わらはの袙(あこめ)の上襲(うわおそい)は何色に仕う奉るべき」と申すを、又笑ふもことわりなり。

   「姫宮の御前のものは、例のやうにては惡氣(にくげ)に候はん。

ちうせい折敷(おしき)、ちうせい高杯(たかつき)にてこそよく候はめ」と申すを、「さてこそは、上襲(うわおそい)著たる童女もまゐりよからめ」と言ふを、「猶(なお)例の人のやうに、かくないひ笑ひそ、いときすくなるものを、いとほしげに」と制したまふもをかし。

  

   中間なるをりに、「大進ものきこえんとあり」と、人の告ぐるを聞し召して、「又なでふこといひて笑はれんとならん」と仰せらるるもいとをかし。

  

   「行きて聞け」とのたまはすれば、わざと出でたれば、「一夜の門のことを中納言に語り侍りしかば、いみじう感じ申されて、いかでさるべからんをりに對面して、申しうけたまはらんとなん申されつる」とて、またこともなし。

一夜のことやいはんと、心ときめきしつれど、「今しづかに御局(おつぼね)にさぶらはん」と辭していぬれば、歸り參りたるに、「さて何事ぞ」とのたまはすれば、申しつる事を、さなんとまねび啓して、「わざと消息し、呼び出づべきことにもあらぬを、おのづからしづかに局などにあらんにもいへかし」とて笑へば、「おのが心地に賢しとおもふ人の譽めたるを、嬉しとや思ふとて、告げ知らするならん」とのたまはする御氣色(おんけしき)もいとめでたし。

(七段)

  

   うへに侍ふ御猫は、かうふり給はりて、命婦のおもととて、いとをかしければ、寵(かしづ)かせ給ふが、端に出でたるを、乳母の馬の命婦「あなまさなや、入り給へ」とよぶに、聞かで、日のさしあたりたるにうち眠りてゐたるを、おどすとて、「翁丸いづら、命婦のおもと食へ」といふに、まことかとて、しれもの走りかかりたれば、おびえ惑ひて、御簾の内に入りぬ。

朝餉の間にうへはおはします。

御覽じて、いみじう驚かせ給ふ。

猫は御懷に入れさせ給ひて、男ども召せば、藏人忠隆まゐりたるに、「この翁丸打ち調じて、犬島につかはせ。

只今」と仰せらるれば、集りて狩りさわぐ。

馬の命婦もさいなみて、「乳母かへてん、いとうしろめたし」と仰せらるれば、かしこまりて、御前にも出でず。

犬は狩り出でて、瀧口などして追ひつかはしつ。

  

   「あはれ、いみじくゆるぎ歩きつるものを。

三月三日に、頭の辨柳のかづらをせさせ、桃の花かざしにささせ、櫻腰にささせなどして、ありかせ給ひしをり、かかる目見んとは思ひかけけんや」とあはれがる。

「御膳のをりは、必むかひさぶらふに、さうざうしくこそあれ」などいひて、三四日になりぬ。

ひるつかた、犬のいみじく泣く聲のすれば、なにぞの犬の、かく久しくなくにかあらんと聞くに、よろづの犬ども走り騒ぎとぶらひに行く。

  

   御厠人なるもの走り來て、「あないみじ、犬を藏人二人して打ちたまひ、死ぬべし。

流させ給ひけるが歸りまゐりたるとて、調じ給ふ」といふ。

心うのことや。

翁丸なり。

「忠隆實房なん打つ」といへば、制しに遣るほどに、辛うじてなき止みぬ。

「死にければ門の外にひき棄てつ」といへば、あはれがりなどする夕つかた、いみじげに腫れ、あさましげなる犬のわびしげなるが、わななきありけば、「あはれ丸か、かかる犬やはこのごろは見ゆる」などいふに、翁丸と呼べど耳にも聞き入れず。

  

   それぞといひ、あらずといひ、口々申せば、「右近ぞ見知りたる、呼べ」とて、下なるを「まづとみのこと」とて召せば參りたり。

「これは翁丸か」と見せ給ふに、「似て侍れども、これはゆゆしげにこそ侍るめれ。

また翁丸と呼べば、悦びてまうで來るものを、呼べど寄りこず、あらぬなめり。

それは打ち殺して、棄て侍りぬとこそ申しつれ。

さるものどもの二人して打たんには、生きなんや」と申せば、心うがらせ給ふ。

  

   暗うなりて、物くはせたれど食はねば、あらぬものにいひなして止みぬる。

つとめて、御梳櫛にまゐり、御手水まゐりて、御鏡もたせて御覽ずれば、侍ふに、犬の柱のもとについ居たるを、「あはれ昨日、翁丸をいみじう打ちしかな。

死にけんこそ悲しけれ。

何の身にかこのたびはなりぬらん。

いかにわびしき心地しけん」とうちいふほどに、この寢たる犬ふるひわななきて、涙をただ落しにおとす。

いとあさまし。

さはこれ翁丸にこそありけれ。

よべは隱れ忍びてあるなりけりと、あはれにて、をかしきことかぎりなし。

御鏡をもうちおきて、「さは翁丸」といふに、ひれ伏していみじくなく。

御前にもうち笑はせ給ふ。

  

  人々まゐり集りて、右近内侍召して、かくなど仰せらるれば、笑ひののしるを、うへにも聞し召して、渡らせおはしまして、「あさましう犬などもかかる心あるものなりけり」と笑はせ給ふ。

うへの女房たちなども來りまゐり集りて呼ぶにも、今ぞ立ちうごく。

なほ顏など腫れためり。

「物調ぜさせばや」といへば、「終にいひあらはしつる」など笑はせ給ふに、忠隆聞きて、臺盤所のかたより、「まことにや侍らん、かれ見侍らん」といひたれば、「あなゆゆし、さる者なし」といはすれば、「さりとも終に見つくる折もはべらん、さのみもえかくさせ給はじ」といふなり。

さて後畏勘事許されて、もとのやうになりにき。

猶あはれがられて、ふるひなき出でたりし程こそ、世に知らずをかしくあはれなりしか。

人々にもいはれて泣きなどす。

  

  

  (八段)

  

   正月一日、三月三日は、いとうららかなる。

五月五日は曇りくらしたる。

七月七日は曇り、夕がたは晴れたる空に月いとあかく、星のすがた見えたる。

九月九日は、曉がたより雨少し降りて、菊の露もこちたくそぼち、おほひたる綿などもいたくぬれ、うつしの香ももてはやされたる。

つとめては止みにたれど、なほ曇りて、ややもすれば、降り落ちぬべく見えたるもをかし。

  

  

  (九段)

  

   よろこび奏するこそをかしけれ。

後をまかせて、笏とりて、御前の方に向ひてたてるを。

拜し舞踏しさわぐよ。

  

  

  (一〇段)

  

   今内裏の東をば、北の陣とぞいふ。

楢の木の遙にたかきが立てるを、常に見て、「幾尋かあらん」などいふに、權中將の、「もとより打ちきりて、定證僧都の枝扇にせさせばや」とのたまひしを、山階寺の別當になりて、よろこび申すの日、近衞府にて、この君の出で給へるに、高き屐子をさへはきたれば、ゆゆしく高し。

出でぬる後こそ、「などその枝扇はもたせ給はぬ」といへば、「ものわすれせず」と笑ひ給ふ。

(一一段)

  

   山は  小倉山。

三笠山。

このくれ山。

わすれ山。

いりたち山。

鹿背山。

ひはの山。

かた

さり山こそ、誰に所おきけるにかと、をかしけれ。

五幡山。

後瀬山。

笠取山。

ひらの山。

鳥籠の

山は、わが名もらすなと、みかどのよませ給ひけん、いとをかし。

   伊吹山。

朝倉山、よそに見るらんいとをかしき。

岩田山。

大比禮山もをかし、臨時の祭の

使などおもひ出でらるべし。

手向山。

三輪の山、いとをかし。

音羽山。

待兼山。

玉坂山。

耳無山

末の松山。

葛城山。

美濃の御山。

柞山。

位山。

吉備の中山。

嵐山。

更級山。

姨捨山。

小鹽山。

淺間山。

かたため山。

かへる山。

妹背山。

  

  

  (一二段)

  

   峯(みね=峰)は  ゆづるはの峯。

阿彌陀の峯。

彌高の峯。

  

  

  (一三段)

  

   原は  竹原。

甕の原。

朝の原。

その原。

萩原。

粟津原。

奈志原。

うなゐごが原。

安倍の

原。

篠原。

  

  

  (一四段)

  

   市は  辰(たつ)の市。

椿市は、大和に數多ある中に、長谷寺にまうづる人の、かなら

ずそこにとどまりければ、觀音の御縁あるにやと、心ことなるなり。

おふさの市。

餝摩の市。

鳥の市。

  

  

  (一五段)

  

   淵は  かしこ淵、いかなる底の心を見えて、さる名をつけけんと、いとをかし。

ないり

その淵、誰にいかなる人の教へしならん。

青色の淵こそまたをかしけれ。

藏人などの身にしつべ

くて。

いな淵。

かくれの淵。

のぞきの淵。

玉淵。

  

  

  (一六段)

  

   海は  水うみ。

與謝の海。

かはぐちの海。

伊勢の海。

  

  

  (一七段)

  

   山陵(みささぎ)は  うぐひすの陵(みささぎ)。

柏原の陵。

あめの陵。

  

  

  (一八段)

  

   わたり(渡)は  しかすがの渡。

みつはしの渡。

こりずまの渡。

  

  

  (一九段)

  

   家は  近衞(このえ)の御門(みかど)。

二條。

一條もよし。

染殿の宮。

清和院。

菅原

の院。

冷泉院。

朱雀院。

とうゐん。

小野宮。

紅梅。

縣の井戸。

東三條。

小六條。

小一條。

(二〇段)

  

   清涼殿のうしとらの隅の北のへだてなる御障子には、荒海の繪、生きたるものどものおそ

ろしげなる、手長足長をぞ書かれたる。

うへの御局の戸、押しあけたれば、常に目に見ゆるを、

にくみなどして笑ふほどに、

  

   高欄のもとに、青き瓶の大なる据ゑて、櫻のいみじくおもしろき枝の五尺ばかりなるを、

いと多くさしたれば、高欄のもとまでこぼれ咲きたるに、ひるかつた、大納言殿、櫻の直衣の少

しなよらかなるに、濃き紫の指貫、白き御衣ども、うへに濃き綾の、いとあざやかなるを出して

參り給へり。

うへのこなたにおはしませば、戸口の前なる細き板敷に居給ひて、ものなど奏し給

ふ。

  

   御簾のうちに、女房櫻の唐衣どもくつろかにぬぎ垂れつつ、藤山吹などいろいろにこのも

しく、あまた小半蔀の御簾より押し出でたるほど、晝御座のかたに御膳まゐる。

足音高し。

けは

ひなど、をしをしといふ聲聞ゆ。

うらうらとのどかなる日の景色いとをかしきに、終の御飯もた

る藏人參りて、御膳奏すれば、中の戸より渡らせ給ふ。

  

   御供に大納言參らせ給ひて、ありつる花のもとに歸り居給へり。

宮の御前の御儿帳押しや

りて、長押のもとに出でさせ給へるなど、唯何事もなく萬にめでたきを、さぶらふ人も、思ふこ

となき心地するに、月も日もかはりゆけどもひさにふるみ室の山のといふ故事を、ゆるるかにう

ち詠み出して居給へる、いとをかしと覺ゆる。

げにぞ千歳もあらまほしげなる御ありさまなるや

  

   陪膳つかうまつる人の、男どもなど召すほどもなくわたらせ給ひぬ。

「御硯の墨すれ」と

仰せらるるに、目はそらにのみにて、唯おはしますをのみ見奉れば、ほど遠き目も放ちつべし。

白き色紙おしたたみて、「これに只今覺えん故事、一つづつ書け」と仰せらるる。

外に居給へる

に、「これはいかに」と申せば、「疾く書きて參らせ給へ、男はことくはへ侍ふべきにもあらず

」とて、御硯とりおろして、「とくとくただ思ひめぐらさで、難波津も何もふと覺えん事を」と

責めさせ給ふに、などさは臆せしにか、すべて面さへ赤みてぞ思ひみだるるや。

春の歌、花の心

など、さいふいふも、上臈二つ三つ書きて、これにとあるに、

  

     年經れば齡は老いぬしかはあれど花をし見れは物おもひもなし

  

  といふことを、君をし見ればと書きなしたるを御覽じて、「唯このこころばへどもの、ゆか

しかりつるぞ」と仰せらる。

ついでに、「圓融院の御時、御前にて、草紙に歌一つ書けと、殿上

人に仰せられけるを、いみじう書きにくく、すまひ申す人々ありける。

更に手の惡しさ善さ、歌

の折にあはざらんをも知らじと仰せられければ、わびて皆書きける中に、ただいまの關白殿の、

三位の中將と聞えけるとき、

  

     しほのみついづもの浦のいつもいつも君をばふかくおもふはやわが

  

  といふ歌の末を、たのむはやわがと書き給へりけるをなん、いまじくめでさせ給ひける」と

仰せらるるも、すずろに汗あゆる心地ぞしける。

若からん人は、さもえ書くまじき事のさまにや

とぞ覺ゆる。

例いとよく書く人も、あいなく皆つつまれて、書きけがしなどしたるもあり。

  

   古今の草紙を御前に置かせ給ひて、歌どもの本を仰せられて、「これが末はいかに」と仰

せらるるに、すべて夜晝心にかかりて、おぼゆるもあり。

げによく覺えず、申し出でられぬこと

は、いかなることぞ。

宰相の君ぞ十ばかり。

それもおぼゆるかは。

まいて五つ六つなどは、ただ

覺えぬよしをぞ啓すべけれど、「さやはけ惡くく、仰事をはえなくもてなすべき」といひ口をし

がるもをかし。

知ると申す人なきをば、やがて詠みつづけさせ給ふを、さてこれは皆知りたる事

ぞかし。

「などかく拙くはあるぞ」といひ歎く中にも、古今あまた書き寫しなどする人は、皆覺

えぬべきことぞかし。

  

   「村上の御時、宣耀殿の女御と聞えけるは、小一條の左大臣殿の御女におはしましければ

、誰かは知り聞えざらん。

まだ姫君におはしける時、父大臣の教へ聞えさせ給ひけるは、一つに

は御手を習ひ給へ、次にはきんの御琴を、いかで人にひきまさらんとおぼせ、さて古今の歌二十

卷を、皆うかべさせ給はんを、御學問にはさせたまへとなん聞えさせ給ひけると、きこしめしお

かせ給ひて、御物忌なりける日、古今をかくして、持てわたらせ給ひて、例ならず御几帳をひき

たてさせ給ひければ、女御あやしとおぼしけるに、御草紙をひろげさせたまひて、その年その月

、何のをり、その人の詠みたる歌はいかにと、問ひきこえさせたまふに、かうなりと心得させた

まふもをかしきものの、ひがおぼえもし、わすれたるなどもあらば、いみじかるべき事と、わり

なく思し亂れぬべし。

そのかたおぼめかしからぬ人、二三人ばかり召し出でて、碁石

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