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梵語のKsanaの音を写したもので、仏教の時間単位です。

?

指を一回弾く時間が六十五刹那だとか、七十五分の一秒のことだとか、いろいろ説がありますが、とにかく、本当に短い時間のことです。

でも、この短い時間のつながりが、私たちの一生なのです。

時間は、すべての人に等しく与えられた財産だといわれます。

使っても使わなくても、消えていってしまって、決して貯めておけない。

もし、毎日決まって二十四万円もらえば、使っても使わなくても一日で消えていってしまうとしたら...

みんな、必死に使いませんか。

刹那の時間も、大切な財産。

あなた次第で、それを、きらめく宝石に変えることだって、できるのです。

一瞬间的财富

刹那,由梵语Ksana谐音而来,是佛教的时间单位。

有的说,弹指间为六十五个刹那,也有说,一个刹那为七十五分之一秒。

虽然说法不一,但总之,一刹那真的是极短的一段时间。

刹那虽短,但是我们的一生,就是由这无数个刹那连接而成。

时间,是上帝公平地给予每个人的一笔财富。

时间,无论你用还是不用,它都会不断前行,不会为任何人停留,不会为任何人积攒。

试想,如果是每天固定地给我们二十四万元现金,无论你用还是不用,它都会在一天之内消失的话,你会怎么做呢?

是不是拼了命,也要把它用完呢?

其实,刹那,也同样是一笔宝贵的财富。

这无数个刹那给了你,由你支配。

是把它变成粪土,还是变成金山,就看你的了。

刹那【せつな】:

?

名詞?

一刹那

つながり:

「名詞」連接

等しい【ひとしい】:

「形容詞」イコール、相等、等同于

必死に【ひっし】:

「副詞」拼命地

きらめく:

「副詞」闪耀

天衣無縫?

天女の衣のように

天女の衣には縫い目がないのだそうです。

そのことから、技巧を凝らさなくても、そのままで完成されたような作品を、天衣無縫と呼ぶようになりました。

天才的な芸術家の作品が、そうですね。

麻雀にも、天衣無縫という役があるそうです。

配られたとき、何もしなくても、そろっている手のことだそうで、まさに、天衣無縫ですね。

最近は、天真爛漫と同じような意味で、使われるようです。

「天真」は、自然のままで、飾りけがないこと。

「爛漫」は、光り輝く様子で、人柄が純真で、無邪気なことをいいます。

天才肌の人には、天真爛漫な人が多いようですから、こうなったのかもしれません。

天真爛漫にしていれば、素晴らしい作品ができるかな?

天衣无缝·

如同仙女的衣衫

据说,仙女的衣衫没有缝制的针眼缝线。

因此,在日语里,将没有任何技术加工,就着自然本色完成的艺术作品,用“天衣无缝”来形容。

天才艺术家的作品,就应该是“天衣无缝”了吧。

在日本的麻将里,据说也有“天衣无缝”这一说。

起牌坐手,牌面整齐,直接就可以和,这样的牌,也真可谓“天衣无缝”啊。

最近,在日语里“天衣无缝”好像也可以跟“天真烂漫”一词同义使用。

“天真”即自然本色,不加修饰。

“烂漫”则指光辉夺目,用来形容人品纯真,没有受到世俗的熏染。

大概是因为能做出“天衣无缝”的作品的天才,大都是“天真烂漫”的人的缘故吧。

但是,是不是“天真烂漫”的人,都是“天衣无缝”的天才呢?

縫い目(ぬいめ):

「名詞」针脚

技巧を凝らす(ぎこうをこらす):

「慣用」讲究技巧

飾り気がない(かざりきがない):

「慣用」不加修饰

人柄(ひとがら):

「名詞」人品

無邪気(むじゃき):

「形容動詞」天真烂漫

天才肌(てんさいはだ):

「名詞」天才气质

蓮華?

泥より出でて、泥に染まらず

「蓮」の花のことです。

~ひーらいた ひーらいた 何の花がひーらいた れんげの花がひーらいた~

わらべうたで歌われている蓮華は、この蓮のことだそうです。

春に咲く蓮華草は、もともとはゲンゲンと呼ばれていました。

蓮の花に似ていることから、蓮華草と呼ばれるようになったそうです。

鍋物の時などに使う散り蓮華も、形が蓮の花びらに似ているところから、こう呼ばれるようになりました。

「泥より出でて、泥に染まらず」…濁った泥の中で育ったにもかかわらず、信じられないほど清らかで美しい花を咲かせる蓮の花。

自分の不遇を嘆きたくなった時には思い出してみるといいかもしれません。

こんな花もあることを…

莲花·

出淤泥而不染

莲花,莲之花。

“开啦,开啦,什么花开啦?

莲花开啦!

这首童谣里唱的就是莲花。

据说春天开的“紫云英”,由于花朵似莲花,又得名“莲花草”。

吃火锅时用的汤匙,也是由于形如莲花,因此又得名“莲花匙儿”。

“出淤泥而不染”——从淤泥的泥浆中生长出来,却能如此的清丽纯洁,让人难以置信。

当我们面对挫折,为自己的命运而唉声叹气之时,就让我们想想这莲花吧——世间居然也能有如此高洁之花朵。

蓮華(れんげ):

「名詞」莲花,荷花

童歌(わらべうた):

「名詞」童谣

鍋物(なべもの):

「名詞」火锅

散り蓮華(ちりれんげ):

「名詞」汤匙

花弁(はなびら):

「名詞」花瓣

花氷?

涼しげな心

花などを入れたまま作った氷のことです。

氷に封じ込められた、いつまでも美しい花。

いかにも涼しげです。

暑い夏をのりきるために、人々は、五感を駆使して涼しさを演出するいろいろな工夫をしてきました。

花氷、水中花。

また、音としては風鈴…

エアコンが発達して、いつでも快適な温度が保てるようになった現代、想像を働かせて、気持ちを涼しくする必要がなくなりました。

そうしたこれらの「涼を呼ぶ」夏の風物詩もだんだん見かけなくなっていきました。

身体は暑くても、心は涼しかった昔。

そして、今、身体は涼しくても、心は涼しいでしょうか。

花冰·

清凉之心

花冰,是将花儿浸在水中,冷制成冰。

花被封冻在冰中,永远保持鲜艳美丽,给人一种沁人心脾的清凉。

为了熬过酷热的夏季,古时候的人们花费心思,操纵每个感官驱热散暑,演绎出各种各样的清凉。

有靠视觉感受清凉的花冰,水中花;

还有靠听觉感受清凉的风铃……

现代社会,空调等制冷设备飞进千家万户,人们可以随时使周围保持适宜的温度,已经没有必要再靠操纵感官,通过想象来驱热了。

因此,那些描写“渴望清凉夏日”的诗句,也渐渐无从寻觅了。

古时的人们,虽然天气炎热,但是内心却能保持一种闲适与清凉。

而现在的人们,身体是凉爽了,但是内心呢?

封じ込める(ふうじこめる):

「他動詞一段」封存,封入

いかにも:

「副詞」的确,实在

乗り切る(のりきる):

「他動詞五段」突破,渡过

五感(ごかん):

「名詞」五感,视、听、触、嗅、味觉

破晓月

有明の月·

振り向けばそこに

有明とは月がまだ残っているのに明けていく空のことです。

そして有明の空に残っている月が有明の月。

十六夜以降の月のことをさすそうです。

すっかり影が薄くなって、透けて見えそうなほど儚い有明の月は、切ない恋の思いをいっそうかきたてるものとして、よく和歌に詠まれています。

どうしても明るく染まりゆく空や昇る太陽の方にめがいきますが、そんな中で西の空を振り返り、消えゆく月を見つめる瞳…なんてやさしい瞳でしょうか。

いつも前ばかり見ていないで、たまには後ろを振り返ってあげてください。

ずっと、あなたを見守っている眼差しに気づくはずです。

破晓月·

就在回首处

月亮还挂在天边,天空却开始破晓。

这时的月,就是破晓月。

一般指阴历十六以后的月亮。

月亮几乎淡尽,近似透明的虚无的月,人们在渲染一段苦闷的恋情之时,常将此月写于诗中,反复吟唱。

我们总是喜欢在黎明之时,遥望东方,去赞叹那染红天边的朝霞,去歌颂那徐徐升起的朝阳。

然而,那转向西方,凝望渐尽的残月的眼眸,也是多么的沉着与温柔啊。

是啊,不要只顾朝前,匆匆赶路,让我们时不时地回过头,看看那走过的身后。

那里,一定有一个眼神,在一直守望着你。

有明(ありあけ):

「名詞」尚有残月的黎明

以降(いこう):

「名詞」之后

儚い(はかない):

「形容詞」虚幻的

書き立てる(かきたてる):

「他動詞一段」例举

染まり行く(そまりゆく):

「自動詞五段」染红

 

2010年8月24日(火)付

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 8年前の朝日歌壇から宮沢洋子さんの一首を引く。

〈夏休みを共に過ごせし甲虫類(こうちゅうるい)森に戻せばもぞりもぞり去る〉。

人を楽しませる役目を終え、樹間に消える虫たちを思う。

飛ぶものは降り、はうものは止まり、雑木林に静寂が戻る▼なお生気にあふれ、〈もぞり〉どころか羽音ますます高いのが永田町の「民主の森」である。

森の主、カブトムシの地位にある菅首相は、当選1回議員約100人と意見を交わすという。

時の首相に会いたいと誘われ、「やだよ」と言える猛者は少ない▼その一人である小沢前幹事長。

自らの政治塾が開講し、明日は注目の塾長講演だ。

鳩山前首相と共に職を辞して以来、小沢氏はめったにお目にかかれぬ、オオクワガタのような存在である▼軽井沢での園遊会。

ホストの鳩山氏は「お出ましいただきました」と小沢氏を的確に紹介した。

大樹の洞(うろ)から黒光りの巨体がのぞく図だ。

ちなみにオオクワガタは臆病(おくびょう)で、危険を察するとすぐ洞に隠れる。

飛ぶのも、仕方なく巣を変える時ぐらいという▼菅氏、小沢氏とも、代表選を見すえた〈もぞりもぞり〉であろう。

オオクワガタ氏には、取り巻きのカナブンらが出陣を求めている。

代役でコクワガタが立つようではカブトムシの思うつぼ、というわけか▼樹液に群がる甲虫の多くは夜行性とか。

だからといって、森の主が民主に代わっても暗がりで動く政治とは情けない。

政策そっちのけの抗争を、経済も外交も許してはくれまい。

見えにくい上、時間と税金を浪費する「樹上のけんか」のむなしさよ。

2010年8月23日(月)付

 言葉ひとつにも暑苦しいものと涼やかなものがある。

「深窓の佳人」などと聞けば、それだけで体感温度はやや下がる。

たとえば避暑地の、緑の木立に開いた窓を思えば、佳人の姿はさておき涼気にふれる心地がする▼そんな窓とは縁遠い「浅窓の中年」だが、せめてもの涼をと「緑のカーテン」を育ててみた。

5月に植えたヒョウタンがネットを這(は)って窓を覆っている。

ハート形の葉が重なって日差しを和らげてくれる。

浅緑色の実がぶら下がり、グラマーな曲線美に気分もなごむ▼気分だけでなく、実際に温度も低くなる。

吸い上げた水分を葉っぱから蒸散させ、周囲の熱を奪ってくれる。

サツマイモを約100平方メートル植えると、1時間あたりの冷却能力は6畳用エアコン10台分という試算もあるそうだから、植物を侮れない▼緑に加えて打ち水も、試してみると結構なものだ。

地面のほてりを鎮めて風情がある。

かすかな風を感じるのは、気のせいでなく、打った水が蒸発して周りの空気が流れ込むためという。

ローテクながら奥の深い納涼の知恵である▼きょうは二十四節気の処暑。

暑さが収まる意味だが、夏の「炎帝」は暴君のうえ長逗留(とうりゅう)を決め込んでいる。

とはいえ先日郊外を訪ねたら、薄(すすき)の穂が伸び赤トンボが里を舞っていた。

もうひと辛抱、だといいのだが▼冒頭に戻って、今度は暑苦しい言葉をあげるなら「西日の鬼瓦」はいかがだろう。

赤銅色に照る鬼瓦氏の労を思いつつ、手づくりの涼を喜ぶのも悪くない。

空調一辺倒で「消夏法」を死語にするのは勿体(もったい)ない。

2010年8月22日(日)付

 1週間前の終戦の日、戦火に散った一兵卒の詩人竹内浩三について書いた。

三重県伊勢市にある浩三の墓を10年ほど前に訪ねたことがある。

手を合わせていると、近くに野球のボールをかたどった墓標があった。

やはり戦死した伝説の名投手、沢村栄治が眠る墓だと教えられた▼沢村は浩三と同じ宇治山田市(現伊勢市)の生まれ。

京都商業から春夏3度、甲子園に出場する。

草創期のプロで活躍したが、時代は野球を許さなかった。

召集をうけて南方に向かう途上、船が沈められて27年の生涯を閉じた▼きのうの高校野球決勝を見ながら、その墓標がふと胸をよぎった。

二つの原爆忌のはざまに開幕した甲子園は、終戦の日を過ぎて、沖縄・興南の春夏連覇で幕を閉じた。

若い白球の宴が、平和を祈る季節と重なるのは、毎年ながら天の配剤のように思われる▼沖縄勢の出場は1958(昭和33)年の首里高に始まる。

米軍占領下からの出場は大きな拍手で迎えられた。

だが沖縄は「外国」だった。

持ち帰った甲子園の土は植物防疫法に触れるとして那覇港に捨てられる▼後日、同情した航空会社の客室乗務員たちが消毒した甲子園の小石を学校に贈った。

美談はいつも悲話と裏表だ。

それから半世紀と2年が流れ、土ではなく優勝旗が沖縄へ渡る▼〈それは単なる野球場の名称ではない。

こんな叙情的なひろがりをもったスタジアムが世界じゅうにあるだろうか〉と詩人の谷川俊太郎さんは甲子園を言う。

平和に抱かれてこその叙情であろう。

思いを新たに、白球の夏を見送る。

2010年8月21日(土)付

 旅の空から絵はがきを出す。

美しい風物と背中合わせに、道中の無事を告げる習いである。

短い海外旅行だと、はがきの前に本人が帰国することがままあるから間が悪い。

まずは便り、次に土産を携えた送り主という順が望ましい▼この夏、スイスや米国の観光地で日本人が亡くなる事故があった。

一葉のエアメールが末期の音信となった方もおられよう。

天からの便りほど悲しいものはない。

事務的に届く郵便は、時に冷酷だ▼53年前に南アフリカで投函(とうかん)された絵はがきが、どういうわけか今月初旬、英国南部のあて先に配達されたという。

消印は1957年11月2日。

はがきの住所にあった共学の寄宿学校は、今は別の教育施設である▼文面には「おばあちゃんと私は今、ホテルの夕食を待っているところだよ」とあり、旅先から孫の寄宿生にあてたものらしい。

どこで迷子になったのか、なんで今ごろ届いたのかは定かでない。

送り手の祖父母は恐らくこの世にいないだろう▼1日の遅れで大目玉を食らった「ゆうパック」の不手際は記憶に新しい。

同じ遅配でも、半世紀となると神々しいものがある。

絵はがきや切手には骨董(こっとう)的な価値も生じ、あて名の人が手にしたら、驚きはしても怒るまい。

出すぎたクイは打たれない▼〈まつすぐにわれをめざしてたどり来し釧路の葉書(はがき)雨にぬれたり〉岡部桂一郎。

風雨を抜け、まっすぐに届くはずの便りが消える。

作為か否か、それが時空の裂け目からひょっこり現れる。

自然ばかりか、人事にもときたま神秘があると知る奇談である。

2010年8月20日(金)付

 名を成した人の親なら、子育て自慢も許されよう。

半世紀も「偉人の母」でありながら、控えめを通したこの人は稀有(けう)な例である。

世界のホームラン王、王貞治さん(70)の母登美(とみ)さんが108歳の天寿を全うした▼世界記録を抜く756号が出た試合、グラウンドに招かれた老父母は、孝行息子から記念の花盾を受けた。

質素な普段着、慣れぬ場ではにかむ笑顔に、人格者が巣立った家庭をのぞき見た思いだった▼富山市で生まれた登美さんは、10代半ばで東京に奉公に出て、中国出身の王仕福(しふく)さんと出会う。

差別の中、どんな仕事もいとわぬ出稼ぎ労働者だった。

若夫婦は、屋号ごと継いだ下町の中華そば屋「五十番」に将来を賭けた▼王さん曰(いわ)く「気は強いが、一面では優しく陽気な働き者」は、一途で不器用な夫を支え、小さな店を切り回した。

夕飯は登美さんが作る栄養満点のおじやで、ふうふう食べたという。

仮死状態で生まれた病弱な子は大きく育ち、球史に太字の名を刻む▼母は、球場に通い詰める〈後楽園の名物ばあさん〉でもあった。

現役引退時の思いを、自著に記す。

「無学の上に特別な才能も何もない親のもとで、ここまでやってくれて、母さんは幸せです」(『ありがとうの歳月を生きて』勁文社)▼いや、徹夜の看病がなければ、そして大空襲の夜におぶって逃げてくれなければ、868本の本塁打はない。

多くの野球少年が「世界」を夢見ることもなかったろう。

そうそう、左利きの矯正をあきらめてくれたのも正しかった。

「ありがとう」は尽きない。

2010年8月19日(木)付

 暦の上ではとうに残暑となるが、名残とするには濃厚な暑気である。

30度近い熱帯夜は虫にもこたえるとみえ、セミの朝鳴きは心なしか弱々しい。

路上の水を吸うアゲハの羽も重そうだ▼内側からも冷やそうと、そうめんや豆腐が絶えない食卓も多かろう。

ただ、冷たい物が過ぎると胃腸の働きが鈍り、食欲が衰えるのでご用心。

口からの涼は、たまにとるから心地よく五臓六腑(ごぞうろっぷ)に染み渡るらしい。

俳句の日ということで、まず涼やかな句を一つ。

〈冷麦(ひやむぎ)に氷残りて鳴りにけり〉篠原温亭▼東京でも38度を超えた猛暑は、西日本を中心になお暴れる気配である。

この夏、熱中症で病院に運ばれた人は3万を超え、死者は東京区部だけで約100人。

独り暮らしのお年寄りが息絶える例が多い▼フランスを熱波が襲った2003年、炎暑に不慣れなパリなどで約1万5千人が亡くなった。

かなりの死者がやはり独居の高齢者で、天災ながら、都会の孤独として社会問題になった▼酷暑そのものが、ある意味で人災だろう。

車やエアコンの排熱、昼の吸収熱が都市を暖めるヒートアイランド(熱の島)現象だ。

ゲリラ豪雨の一因とされる。

だから高浜虚子のように、〈見苦しや残る暑さの久しきは〉と、突き放して残暑を腐すわけにもいかなくなった▼梅雨明けに添えて、ひと月前の小欄は「天変地異のない、しっかりした夏を願う」と書いた。

以来、ひどい台風がないのはいいとして、ここまで「しっかり」するとは思わなかった。

自業自得とはいえ、われらが熱の島の空調、甘くない

2010年8月18日(水)付

 セザンヌの連作「赤いチョッキの少年」で最も有名なのは、一昨年にスイスで盗まれた一枚だろう。

少年は職業モデルで、左手でほおづえをつく中性的な横顔を、上半身の赤がきりりと引き締めている▼日本ではなぜか、赤は長らく「女の子の色」だった。

本来は火であり血であり、赤ん坊や還暦のちゃんちゃんこが示す通り、元気の色である。

男女を問わず、燃え盛る生命力を異性に誇示する色でもあろう▼米ロチェスター大学などの研究チームが、「赤を身につけた男性は、女性からより魅力的に見える」との説を発表した。

米国、英国、ドイツ、中国で七つの実験をした結果で、文化的な背景は関係なかった▼例えば、同じ男性のシャツを赤と緑にして見せたところ、若い女性たちの好感度は赤が勝った。

モノクロ写真を赤と白の枠にしても同じだった。

どうも赤が入ると、地位や収入、性的魅力が豊かに映るようだ。

一部のエビや霊長類では、メスはより赤いオスになびくという。

人間も同じらしい▼夏目漱石の『坊っちゃん』で、敵役の「赤シャツ」はずる賢い女好きに描かれる。

主人公は〈人を馬鹿にしている……この男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。

妙な病気があった者だ〉とぼろくそだ。

でも研究チームに言わせれば、病気どころか理にかなった勝負服だろう▼無論、赤シャツに赤チョッキで固めても、中身が伴わねば妙な装いで終わる。

男女とも、色で上げ底するまでもない本物を目ざすべし。

赤の魔力なるもの、せいぜい水増しのコロン程度と心得たい。

陽炎 つかまえた

透き通った炎のように、地面からゆらゆらとたち上る陽炎(かげろう)。

とりとめもないものの、あるかなきかのもののたとえとして、使われてきました。

また、トンボの古名(こみょう)、蜉蝣(かげろう)、と混同されて、儚い(はかない)ものの代名詞(だいめいし)のようにもなっています。

もとは、「かぎろい」だったそうです。

いまは、区別されて、「かぎろい」の方は、明け方(あけかた)の空のほのかな光をさす時に使われます。

「陽炎、稲妻、水の月」

目には見えていても、とらえることができないもののたとえです。

手でとらえれないのだから、とらえようとするのです。

目に見えないものなら、どこでとらえましょう。

ゆらゆら  副摇曳摇摇晃晃

とりとめのない惯用没影的

たとえ名比喻

トンボ名蜻蜓

儚い(はかない)形虚幻的

かぎろい名晨光

ほのか形动微弱的

稲妻(いなずま)名闪电

和草(にこぐさ) にっこり微笑んで

生えたばかりの柔らかい草や、葉や、茎の柔らかい部分を「和草」といいます。

「和し」は、柔らかいとか、細かいという意味。

「柔(じゅう)」という字を当てたりもします。

「葦垣(よしがき)の中の和草にこやかに我と笑まして人に知らぬな」

「和草のように、にこやかに私に微笑みかけたりして、二人の仲が、ほかの人にばれないようにね」という意味です。

「にこにこ」「にっこり」などの擬態語も、ここから来ているようです。

英語の三倍はあるという日本語の擬音

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