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旧版标日中上课文文章无对话

第1課

こんにちは

こんにちは、私は王と言います。

去年の6月に、留学生として日本にやって来ました。

初めのうちは、言葉や習慣の違いから失敗ばかりしていましたが、最近はこちらの生活にもだいぶ慣れてきました。

大学へ通っているうちに、何でも気軽に話し合える友達もできました。

鈴木先生は私が通っている大学の先生です。

御専門は言語学で、私たち留学生に日本語を教えていらっしゃいます。

私が日本語について分からないことを聞きに行くと、いつも丁寧に教えてくださいます。

勉強以外のこともいろいろと相談に乗ってくださいます。

先生は、現代の中国に興味がおありになるそうで、ときどき中国のことをお尋ねになります。

そんな時、私は喜んで中国のことを説明して差し上げます。

私は、これから、自分が知りたいことや興味があることについて、いろいろな本を読んで、どんどん勉強していこうと思っています。

日本の自然や社会・歴史・文化、それに科学技術など、知りたいと思うことがいっぱいあります。

小説や詩のような文学作品も日本語で読んでみたいと思っています。

旅行の計画もあります。

今度の夏休みに、日本の各地を訪れようと思っています。

夏休みが終わるまでに、できるだけいろいろな所に行って、見聞を広めるつもりです。

第2課

王さんの日記

王さんは、毎日、日記を書いています。

このあいだまでは、中国語で書いていました。

けれど、先日、鈴木先生に「日本語で日記を書いてみたらどうですか。

」と勧められたので、最近は日本語で日記をかいています。

6月10日            火曜日       晴れ

授業が終わってから、図書館へ行って本を借りた。

図書館の前で、佐藤さんにあった。

佐藤さんは、日本人の学生の中でいちばん仲の良い友達だ。

将来は日本語の教師になりたいそうだ。

いつも明るく朗らかで、冗談を言って、よく私たちを笑わせる。

二人で喫茶店に行って、しばらく話をした。

日本語の難しさなどについて話をしているうちに、映画の話題になった。

佐藤さんは映画が好きで、週に一度は見に行くそうだ。

話がはずんで、あさっての木曜日に、いっしょに映画を見に行くことになった。

あさってが楽しみだ。

6月12日           木曜日        雨

午後5時に、渋谷の駅前で佐藤さんと待ち合わせて、いっしょに映画にいった。

佐藤さんが連れて行ってくれたのは、喜劇映画だった。

佐藤さんは、思い切り笑える映画が好きだそうだ。

いかにも佐藤さんらしいと思った。

映画を見るのは久しぶりだ。

せりふが速すぎてわかりにくい場面もあったけれど、画面を見ているうちに、なんとなく意味がわかった。

それに、日本人のユーモアの感覚も、少しわかったような気がする。

映画を見るのは楽しい。

そのうえ、言葉の勉強にもなる。

これからは、暇を見つけて、できるだけ映画をみるようにしよう。

第3課

五目ずしの作り方

王さんと張さんは、今日、田中さんの家に夕食に招かれました。

田中さんは旅行会社に勤めていて、日本を訪れる外国の旅行者のために、いろいろと便宜を図ってくれます。

王さんも張さんも、去年中国から日本へ来る時に、田中さんの世話になりました。

田中さんの家族は、田中さんと奥さん、それにお嬢さんの純子さんの三人です。

今日は、田中さんの奥さんが、二人のために手作りの五目ずしをごちそうしてくださるそうです。

王さんは早めに田中さんの家へ行って、奥さんに五目ずしの作り方を教わりました。

そして、次のようなメモをつくりました。

材料(5人前)

米…3合   筍…100グラム

しいたけ…4個    れんこん…1本

にんじん…50グラム    さやえんどう…30グラム

海老…100グラム    卵…3個

だし汁、酒、砂糖、醤油、酢

作り方

五目ずしをつくるには、まず始めに、普通より少し固めにご飯を炊く。

そして、ご飯を炊いている間に、具を用意する。

筍・しいたけは、細かく切り、だし汁・酒・砂糖・醤油で煮る。

れんこんは、薄く切って、だし汁・酒・酢・砂糖で煮る。

にんじん・さやえんどうは、細く切ってさっとゆでる。

海老もさっとゆでる。

卵は、薄く焼いてから細く切っておく。

次に、ご飯が炊き上がったら、熱いうちに酢と砂糖を振りかけて混ぜる。

そして、用意した具を、卵を除いて順番に混ぜ合わせる。

最後に、皿に盛り付けてから、卵を載せ、好みで、のりや紅しょうがを添えるとよい。

第4課

言葉遣い―レストランで

(1)は、田中さんと奥さんが、レストランに行った時会話です。

二人が話していると

ころに、レストランの店員がやって来た場面です。

この会話には、日本語の話し言葉の特徴が、いくつか現れています。

日本語の会話では、人間関係によって言葉遣いがずいぶん変わります。

家族や友達同士のような親しい関係では、「です」「ます」を使った丁寧な言い方はあまりしません。

「何にしますか。

」という言い方ではなく、「何にする。

」と、くだけた言い方をするのが普通です。

田中さんは、奥さんに対してくだけた言い方をしていますが、レストランの店員に対しては、丁寧な言い方をしています。

店員は、田中さんに向かって特に丁寧な言葉遣いをしています。

親しい関係でないうえに、店員と客という立場の違いがあるので、特別丁寧なのです。

日本語には、男性と女性の言葉使いにも違いがあります。

例えば、自分のことを「ぼく」と言うのは、男性特有の言葉使いです。

女性は普通「わたし」と言います。

逆に、「食べ過ぎかしら。

」という表現は、主に女性の言葉使いです。

男性だったら、「食べ過ぎかな。

」などと言います。

親しさの度合いや、立場の違いなどの人間関係によって、言葉使いが変わったり、男性と女性で言葉が違ったりするのは、日本語の話し言葉の大きな特徴です。

日本語のおもしろいところでもあり、また難しいところでもあります。

第5課

梅雨と日本の家屋

日本では、北海道を除いて、6月から7月にかけて、しとしとと雨の降る日が続きます。

この時期を梅雨と言います。

梅雨の時期は気温が高く、湿度も高いので、とても蒸し暑く感じます。

ですから、日本に住んでいる外国人は、たいてい「梅雨は苦手だ。

」と言います。

涼しくて乾燥した土地に育った人たちは、特に「蒸し暑くてたまらない。

」と言います。

日本人は、昔から梅雨に悩まされてきました。

そして、蒸し暑い気候の時でも快適に暮らすことができるように、いろいろな工夫をしてきました。

その工夫がいちばんよく現れているのは、日本の伝統的な家屋でしょう。

日本の家屋は、壁が少なく、自由に取り外しができる障子やふすまで部屋を区切ります。

寒い冬の日には、障子やふすまを閉めたままで過ごします。

けれど、暑い夏の日には、この障子やふすまを取り外し、家全体を一つの広い部屋のようにして過ごします。

そうすると、風がよく通って、とても涼しいのです。

家屋の素材にも工夫があります。

日本の家屋には、木や竹や紙など、植物性の素材が多く使われています。

障子やふすまは、木と紙でできていますし、床に敷く畳も、わらといぐさを編んだものです。

植物性の素材は、湿気を吸い取るので、湿度の高い風土に適しているのです。

時代が変わるにしたがって、家屋の作り方も変わってきました。

最近は、日本でも欧米風の建築が多くなりました。

しかし、日本の風土を考えると、伝統的な家屋から学ぶことも多いと思います。

第6課

七夕

7月7日は七夕です。

七夕の行事は、8世紀ごろに中国から日本へ伝えられました。

日本では、この日、子供たちが紙に願いごとを書いて、たけにつるします。

ところで、中国には、七夕にまつわるこんな古い話があります。

昔、ある所に、貧しい牛飼いの若者がおりました。

わかものは、兄の家で暮らしていましたが、ある日、家から追い出されてしまいました。

若者は、牛といっしょに暮らし始めました。

そして、毎日とても丁寧に牛の世話をしてやりました。

ある時、牛がこう言いました。

「明日、湖で天女たちが水浴びをします。

天女の服が置いてあるから、赤い服を持って隠れていなさい。

その服の持ち主が、あなたのお嫁さんになる人です。

次の日、若者が湖へ行ってみると、牛が言ったとおり、天女たちが水浴びをしていました。

若者は、言われたとおり、赤い服を持って隠れていました。

しばらくすると、天女たちが湖から上がってきました。

一人の天女が、服がなくて困っていました。

その時、「あなたの服なら、ここにあります。

と言って、若者が姿を現しました。

その天女の名前は、織姫と言いました。

織姫は、天の神様の孫でした。

二人は、すぐに仲良くなりました。

若者は織姫に、「人間の世界に残って、わたしと結婚してください。

」と言いました。

二人は、結婚して幸せに暮らし始めました。

毎日が楽しくてなりませんでした。

かわいい男の子と女の子も生まれました。

ある日、牛が若者に言いました。

「わたしが死んだら、わたしの皮をとっておきなさい。

そして、困ったことがあったら、その皮を体にかけなさい。

」そう言い残して、牛は死んでしまいました。

そのころ、天の国では、神様が織姫を探していました。

織姫が人間の世界から帰って来ないので、神様はとても怒っていたのです。

そして、二人がいっしょに暮らしているのを知って、連れ戻しに来ました。

神様は、織姫を連れて、天に昇っていきました。

その時、若者は、牛が言ったことを思い出して、牛の皮を自分の肩にかけました。

皮を着たとたんに、若者の体は、天に舞い上がりました。

若者は、一生懸命おいかけました。

そして、もう少しで追いつきそうになりました。

けれども、神様が大きく腕を振ると、若者の目の前に、大きな天の川が現れました。

若者と織姫は、天の川を挟んで、離れ離れになってしまったのです。

織姫は、悲しくて悲しくて、毎日泣いてばかりいました。

そして、毎日若者に会いたがっていました。

神様は、そんな織姫の姿をみると、かわいそうでなりません。

そこで、年に1回、7月7日だけ、二人が会うことを許してやりました。

7月7日になると、たくさんのかささぎが天の川に橋をかけます。

この橋のうえで、若者と織姫は1年に1回だけ会うことができるのです。

そのために、この日だけは、人間の世界からかささぎがいなくなるということです。

第7課

地震の起こる日

大正12年(1923年)9月1日、関東地方を震度7の大地震が襲いました。

この地震によって、関東地方は大きな被害を受け、10万人の人が死に、70万戸の家が壊れたり焼けたりしました。

この地震は「関東大震災」と呼ばれ、その時の恐ろしさが今でも語り伝えられています。

ところで、9月1日という日付に注意してください。

月の数と日の数を足すと、9+1で 10になります。

このことから、物理学者の坪井忠二さんは、「10になる日大地震が多い。

」と、ある新聞のコラムに書きました。

記録を調べてみると、12月7日、11月26日などにも大地震が起こっているそうです。

1+2+7,1+1+2+6、というふうに、それぞれの数を足すと、不思議なことに答えはどれも10になります。

地震と日付の間に何か関係があるのでしょうか。

実は、この話にはちょっとしたしかけがあるのです。

坪井さんは、こんな種明かしをしています。

月の数と日の数を合計して、いちばん小さい数は2です。

これは、1月1日(1+1)、10月10日(1+0+1+0)など、1年のうちに4日あります。

反対に、いちばん大きい数は20で、9月29日(9+2+9)の一日しかありません。

ほかの日付は、すべて2から20の間に収まります。

その中で、10になる日はとても多く全部で36日もあります。

ですから、10になる日に大地震が多いのは不思議でも何でもないのです。

なぜならば、その日が1年のうちでたいへん多いからです。

でも、もしこの種明かしがなければ、「10になる日は大地震が多い。

」という話を聞いて、多くの人は、「確かにその通りだ。

不思議だな。

」と思ってしまうのではないでしょうか。

「迷信というものは、こうして生まれるのかもしれない。

」と、坪井さんは言っています。

第8課

数字をめぐって

純子:

ねえ。

張さんは算数が得意でしょう。

この問題、難しくて解けないの。

教えてくれない。

1個88円のガラスのコップがある。

これを運ぶと1個につき9円もらえる。

でも、運ぶ途中で品物を壊すと、壊した分の運び賃がもらえないばかりか、壊した品物の代金も支払わなければならない。

1000個運んで、7642円もらえったとする。

いったい何個壊れただろうか。

張:

ほう、かなり複雑な問題だね。

純子ちゃんは、どうしたらこの答えが出ると思う。

純子:

まず、壊さないで全部運んだとしたら、いくらもらえるか考えて、次に、その金額と実際にもらった金額との差がいくらあるか、考えればいいと思うの。

すると、こうなるでしょう。

9円X1000=9000円

9000-7642=1358円

張:

うん。

何個か壊したら、1358円もらえなかったんだね。

純子:

だから、1358円をコップ1個の値段で割ればいいと思うんだけれど、割り切れないのよ。

どうしてかしら。

いくら考えてもわからないの。

張:

なるほど。

純子ちゃんは、ちょっと勘違いしてるみたいだね。

1個壊したら、88円弁償しなければならないけど、そのうえ、9円の運び賃ももらえないから……。

こう算数すればいいのね。

88+9=97

1358÷97=14個

純子:

答えは14個ね。

張:

そうだよ。

よし、今度はぼくが問題を出そう。

ジュースの空き瓶を7本集めると、その空き瓶と引き替えに、ジュースを1本もらえるとする。

では49本の空き瓶を集めると、何本のジュースがもらえるだろうか。

純子:

これは簡単よ。

7本集めると1本もらえるんだから、49本を7で割ればいいんでしょう。

答えは7本だわ。

張:

残念でした。

答えは8本。

純子:

えっ、どうして。

7本でいいはずよ。

張:

もちろん、最初の49本の空き瓶からは、7本のジュースがもらえるよ。

でも、その7本の空き瓶を集めたら、もう1本ジュースがもらえるじゃないか。

だから「7+1=8」で、答えは8本になるのさ。

純子:

あっ、そうか。

でも、そんなのずるいわ。

張:

ははは。

ずるいと言えば、ずるいかもしれないけど、こんな問題もおもしろいだろう。

第9課

夏休みの旅行計画

日本人は働きすぎだ、という批判が高まってきたためか、最近は、日本の会社も、1週間とか10日とか長い期間の休みを設けるようになった。

その休みを利用して、都会を脱出し、海や山へ遊びに行く人や、海外旅行をする人が年々増えつつある。

また、8月の中旬は旧暦のお盆に当たるので、先祖の墓参りをするために、故郷へ帰る人がたくさんいる。

ふだん離れ離れになっている家族や親戚が再会ができることも、お盆の大きな楽しみになっているようだ。

「民族大移動」などと言われるほど、お盆の前後には、多くの人がいっせいに帰省する。

そして、またいっせいに都会へ戻ってくる。

このように、夏は旅行する人が多いため、列車がたいへん混雑するし、道路も渋滞する。

旅館やホテルなども、早めに予約しておかないと、利用することができない。

だから、旅行を楽しむためには、計画を立て、前もって、乗り物や宿泊施設の手配をしておくことが必要である。

第10課

上野駅で

日本には、東京の言葉を土台にした共通語があり、全国どこにでも通用する言葉として、広く使われています。

けれども、一方で、それぞれの地方には、その地方と独特の言葉があります。

その言葉を方言言います。

方言は、その土地の風土や暮らしと深いつながりがあり、その土地その土地の味わいがあります。

そして、自分が生まれ育った土地の方言には、だれもが強い愛着を持っています。

ふるさとのなまりなつかし

停車場の人ごみの中に

そを聞きに行く

これは、石川啄木の短歌です。

「ふるさとの方言が懐かしくてたまらない。

わたしは、その方言が聞きたくて、停車場の人ごみの中にわざわざ出かけて行くのだ。

」という意味です。

故郷の岩手県を離れ、東京で暮らしていた啄木は、ふるさとの言葉に特別の懐かしさを感じたのでしょう。

ところで、この短歌で歌われている「停車場」とは、上野駅のことだと言われています。

上野駅は、東京の中心にあり、昔から東京の北の玄関と言われていました。

東北地方や上越地方から東京へ出てくる人や、逆に帰っていく人が、おおぜい乗り降りする駅でした。

ですから、そこへ行けば、啄木は生まれ故郷の言葉を聞くことができたのです。

現在も、上野駅の人ごみの中からは、相変わらずふるさとの言葉で楽しそうに話し合う声が聞こえてきます。

啄木のように、ふるさとの言葉が懐かしくて、上野駅にそれを聞きに行く人が、今もいるかもしれません。

第11課

旅と交通

昔、鉄道や自動車のような交通手段がなかった時代には、どこへ行くのにも、自分の足で歩くしかなかった。

旅をするのにも、昔の人は、何日も歩き続けるしかなかった。

江戸時代(1603年~1867年)になって、江戸(現在の東京)と日本の各地を結ぶ街道が整備され、多くの人が、街道を歩いて旅をするようになった。

江戸と京(現在の京都)を結ぶ東海道は、特に交通量が多く、街道沿いの町はたいへんにぎわった。

江戸と京の距離はおよそ500キロだが、当時の人たちは、12日から15日くらいかけて、東海道を歩いたらしい。

人間が1日に歩ける距離は、大人の男性で40キロぐらい。

だから、毎日歩き続けたとしても、そのくらいの日数はどうしても必要だっただろう。

現在、東京と京都の間には、東海道新幹線が走っている。

時速200キロ以上のスピードを誇る新幹線を利用すれば、東京を出発して、3時間もしないうちに、京都に到着する。

昔は10日以上かかった場所までわずか3時間たらずで行けるのだから、便利になったものだと思わずにはいられない。

現代では、仕事のために新幹線を使って、東京から京都や大阪へ日帰りで出張することなど、日常茶飯事になっている。

しかし、それほど便利な新幹線だが、「新幹線を使って旅行をしてもおもしろくない。

」と言う人もいる。

あまり速すぎて、旅の情緒が味わえないと言うのだ。

そして、わざわざ各駅停車の列車に乗って行く人もいるそうだ。

でも、こんな話を昔の人が聞いたら、きっと「ぜいたくなことを言うものだ。

」と思うだろう。

第12課

京都からの手紙

田中健一様

拝啓

先日は、たいへんお世話になりました。

私は今、山田君と一緒に京都に来ています。

京都は、古いお寺や町並みが残っている、すてきな町です。

実際に京都に来てみて、この町がとても気に入りました。

京都の町は、中国の西安をまねて、作られたんだそうですね。

その話を聞いて、いっそう京都に親しみを感じました。

それにしても、こちらの暑さは予想以上でした。

京都は盆地なので、夏は暑いと聞いていましたが、本当にうだるような暑さです。

でも、今日はその暑さのなか、清水寺、龍安寺、円山公園などの名所を見て歩きました。

有名な清水寺の舞台にも上がってみました。

日本では何か思い切ったことをする時、「清水の舞台から飛び降りるつもりで…。

」と言うことがあるそうですね。

中国ならば、「西安のだいがんとうから飛び降りるつもりで…。

」ということになるのでしょうか。

京都の夏の行事として有名な「大文字焼き」も見物することができました。

暗闇の中で、山の中腹に火がともったかと思うと、たちまち赤々と燃え上がり、「大」という字を作りました。

その光景はたいへん幻想的で、美しいものでした。

この「大文字焼き」の行事が終わると、京都の夏は、終わりだと言われているそうですね。

そう言えば、夏休みも残りわずか。

私たちも、あさっては東京に戻り、9月からの勉強の準備に取りかかるつもりです。

田中さんにいろいろと教えていただいたおかげで、とても楽しい旅ができました。

ありがとうございました。

お礼のしるしに、別便で京都名物のお菓子をお送りしましたので、どうぞ召し上がってください。

まだまだ厳しい残暑が続くことと存じます。

くれぐれもお体をお大切に。

敬具

8月17日

張建国

第13課

50億人目の赤ちゃん

1987年7月11日、ユーゴスラビアのザグレブ市で、50億人目の赤ちゃんが誕生した。

マチィちゃんという男の子だ。

国連は、人口統計から、この日を50億人目の赤ちゃん誕生の日と決め、その誕生を祝うことにした。

デクエアル国連事務総長が、ザグレブ市の病院を訪れ、「マチィちゃんと同世代の人々が、平和で暮らせますように。

」と、お祝いの言葉を贈った。

世界の人口は、1920年代に20億人だったから、この半世紀余りで2倍半に増えたことになる。

21世紀の初めには、さらに10億人増えて、60億人に達するらしい。

これほど急激に人口が増加したのは、医学が進歩して、人間の死亡率が大幅に減少したからだ。

高度な医療技術のお陰で、幼児の死亡率が低くなり、人間の寿命は著しく伸びている。

人類にとって、たいへん嬉しいことだ。

しかし、喜んでばかりは入られない。

「人口爆発」と言う言葉があるように、人口の急激な増加は、人類を脅かすものでもある。

例えば、食糧の問題だ。

現在でも、地球うえには飢えに苦しんでいる人たちが、たくさんいる。

このまま人口が増え続けたら、食糧問題はますます深刻になるに違いない。

また、生活や産業の廃棄物が増えて、環境が汚染されことや、人間の数に比べて、石油や石炭などの資源が不足することも心配だ。

50億人目の赤ちゃんの誕生は、人類にとって嬉しいニュースだが、当時に、厳しい時代の到来を告げるニュースでもある。

マチィちゃんとどう同世代の人々が、平和に暮らせることを願うとともに、私たちは、地球の未来について、一層真剣に考えるなければならないのでもある。

第14課

鳥になりたい

人間は昔から、「鳥のように自由に空を飛びまわることができたら、どんなに素晴らしいだろう」と想像してきた。

ルネサンスの天才、レオナルど・ダ・ビンチも「鳥のように空を飛びたい」と言う夢を抱いていたようだ。

彼は、今から500年も前に、鳥の解剖をしたり、鳥が飛ぶときの働きをスケッチしたりして、鳥が空を飛べるわけを考えた。

彼は、現代の連続写真でなければわからないような働きまで、正確にスケッチしていると言われる。

そして、その研究を元に、彼は飛行機の設計図を残している。

レオナルド・ダ・ビンチが考えた飛行機は実験しなかったが、その後、たくさんの人たちが、空を飛ぶ方法を研究した。

気球に乗って空を飛ぶことを考えた人もいた。

カモメやトンビが、翼を動かさないで飛ぶことから、グライダーを考え出した。

そして、とうとう今世紀の初めになって、アメリカのライト兄弟が、エンジンつきの飛行機の実験に、成功したのである。

レオナルド・ダ・ビンチの時代には、人間が空を飛べるなどと考える人は、ほとんどいなかっただろう。

ライト兄弟の成功を見るまでは、飛行機の実験に興味を示す人は、ごくわずかだったそうだ。

夢は、あくまでも夢だと、多くの人が思っていたに違いない。

しかし、何人かの人は、「鳥になりたい」と言う夢を、何とか実現しようと努力してきた。

その努力の積み重ねが、見事に花を開き、実を結んだのだ。

現在では、大型旅客機が、世界中の空を飛び回っている。

そして、今や人間の夢は地球の上ばかりでなく、宇宙にまで広がっている。

人類が、宇宙を自由に飛び回るのは、もはや時間の問題だろう。

第15課

小さいものへの愛着

昔、中国からの使節が日本に来て、瀬戸内海を船で渡っている時、こう言ったそうだ。

「日本にもずいぶん広い川がありますね。

これは何という川ですか。

黄河や揚子江など広大な川を見慣れた中国の人はが瀬戸

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