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俳句の精神

一 俳句の成立と必然性

 五七五の定型と、季題及切字の挿入という制約によって規定された従来普通の意味での俳句あるいは発句のいわゆる歴史的の起原沿革については、多分そういう方面に詳しい専門家が別項で述べ尽されることと思うから、ここで自分などが素人くさい蛇足を添える必要はないであろう。

しかし自分が以下に試みに随筆的に述べてみたいと思う自己流の俳句観のはしがきのような意味で、やはり自己流の俳句源流説を略記して一つには初心読者の参考に供し、また一つには先輩諸家の批評を仰ぎたいと思うのである。

 俳句の十七字詩形を歴史的に遡って行くと「俳諧の発句」を通して「連歌の発句」に達し、そこで明白な一つの泉の源頭に行き着く。

これは周知のことである。

 しかし、河の流れを遡って深い谷間の岩の割目に源泉を発見した場合にいわゆる源泉の探究はそれで終了したとしても、われわれはその泉の水が決して突然そこで無から創造されたものではなくて、更に深く地下の闇の中にその出所を追究することが出来るということを知っている。

それと同じようにわれわれはまた俳句というものの中に流れている俳句的精神と云ったようなものの源泉を、その詩型の底に潜り込んで追究して行くと、その水脈のようなものは意外に広く遠い処に根を引いているのに気が付くであろう。

例えば万葉や古事記の歌でも源氏や枕草子のような読物でも、もしそのつもりで探せばそれらの中にある俳句的要素とでも名づけられるようなものを拾い出すことは決してそれほど困難ではあるまいと思われる。

 ここで自分が仮りに俳句的要素とか云う名前で呼んでいるものは何であるかというと、それは古来の日本人が自然に対する特殊な見方と態度を指して云うのである。

 日本人の対自然観が外国人なかんずく西洋人などのそれと比較していかなる特徴をもっているかということについては最近に他の場所でやや詳しく述べたから、ここでは詳細の解説は省略するが、その要点を掻摘んで云ってみると次のようなものである。

 日本人は西洋人のように自然と人間とを別々に切離して対立させるという云わば物質科学的の態度をとる代りに、人間と自然とを一緒にしてそれを一つの全機的な有機体と見ようとする傾向を多分にもっているように見える。

少し言葉を変えて云ってみれば、西洋人は自然というものを道具か品物かのように心得ているのに対して、日本人は自然を自分に親しい兄弟かあるいはむしろ自分のからだの一部のように思っているとも云われる。

また別の云い方をすれば西洋人は自然を征服しようとしているが、従来の日本人は自然に同化し、順応しようとして来たとも云われなくはない。

極めて卑近の一例を引いてみれば、庭園の作り方でも一方では幾何学的の設計図によって草木花卉を配列するのに、他方では天然の山水の姿を身辺に招致しようとする。

 この自然観の相違が一方では科学を発達させ、他方では俳句という極めて特異な詩を発達させたとも云われなくはない。

これは一見甚しく奇抜な対比のように聞こえるであろうが、しかし自分が以下に述べんとする諸点を正当に理解される読者にとってはこうした一見奇怪な見方が決して奇怪でないことを諒解されるであろうと思われる。

 日本人のこうした自然観がどうして成立したかという起原と理由については前に引用した他の場所でやや詳しく説明してあるから、ここではそれは略することとして、ここではこの日本人固有の自然観の特異性がいかなる形で俳句という詩形の中に現われて来るかを説明してみようと思う。

 従来俳句について客観と主観ということが問題になることがしばしばあった。

この句は純客観の句であるとか、あの句は主観の句であるとかいうような批判を耳にすることがある。

便宜上こういう言葉を使って俳句の分類をするのも別に大した不都合はないかも知れないが、自分の考えているような日本人の自然観を土台にする立場から見れば、こうした言葉はかなり無意味なものになって来る。

なぜかと云えば人間と自然とを切離して対立させない限り、主と客との対立的の差別はなくなってしまうからである。

 一例として「荒海や佐渡に横たふ天の川」という句をとって考えてみる。

西洋人流の科学的な態度から見た客観的写生的描写だと思って見れば、これは実につまらない短かい記載的なセンテンスである。

最も有利な見方をしても結局一枚の水彩画の内容の最も簡単なる説明書き以外の何物でもあり得ないであろう。

それだのにこの句が多くの日本人にとって異常に美しい「詩」であり得るのは一体どういう訳であろうか。

この句の表面には現わな主観は極めて稀薄である。

「横たふ」という言葉にわずかな主観の匂いを感ずる位である。

それだのにわれわれはこの句によって限り無き情緒の活動を喚起されるは何ゆえであろうか。

 われわれにとっては「荒海」は単に航海学教科書におけるごとき波高く舟行に危険なる海面ではない。

四面に海を繞らす大八洲国に数千年住み着いた民族の遠い祖先からの数限りもない海の幸と海の禍との記憶で彩られた無始無終の絵巻物である。

そうしてこの荒海は一面においてはわれわれの眼前に展開する客観の荒海でもあると同時にまたわれわれの頭脳を通してあらゆる過去の日本人の心にまで拡がり連なる主観の荒海でもあるのである。

「大海に島もあらなくに海原のたゆたふ浪に立てる白雲」という万葉の歌に現われた「大海」の水はまた爾来千年の歳月を通してこの芭蕉翁の「荒海」とつながっているとも云われる。

 もちろん西洋にも荒海とほぼ同義の言葉はある。

またその言葉が多数の西洋人に色々の聯想を呼び出す力をもっていることも事実である。

しかしそれらの聯想は恐らく多くは現実的功利的のものであろう。

またもしそれが夢幻的空想的であるとしても、日本人のそれのように濃厚に圧縮されたそうして全国民に共通で固有な民族的記憶で彩られたものでは恐らくあり得ないであろうと思われる。

「佐渡」でも「天の河」でも同様である。

一体に俳句の季題と名づけられたあらゆる言葉がそうである。

「春雨」「秋風」というような言葉は、日本人に取っては決して単なる気象学上の術語ではなくて、それぞれ莫大な空間と時間との間に拡がる無限の事象とそれにつながる人間の肉体並に精神の活動の種々相を極度に圧縮し、煎じ詰めたエッセンスである。

またそれらの言葉を耳に聞き眼に見ることによって、その中に圧縮された内容を一度に呼び出し、出現させる呪文の役目をつとめるものである。

そういう意味での「象徴」なのである。

 こういう不思議な魔術がなかったとしたら俳句という十七字詩は畢寛ある無理解な西洋人の云ったようにそれぞれ一つの画の題目のようなものになってしまう。

この魔術がどうして可能になったか、その理由は大体二つに分けて考えることが出来る。

一つはすでに述べた通り、日本人の自然観の特異性によるのである。

ひと口に云えば自然の風物にわれわれの主観的生活を化合させ吸着させて自然と人間との化合物ないし膠質物を作るという可能性である。

これがなかったらこの魔術は無効である。

しかしこれだけの理由ではまだ不充分である。

もう一つの重大な理由と思われるのは日本古来の短かい定型詩の存在とその流行によってこの上述の魔術に対するわれわれの感受性が養われて来たことである。

換言すればわれわれが、永い修業によって「象徴国の国語」に習熟して来たせいである。

 ステファン・マラルメは仏国の抒情詩を溺らす「雄弁」を排斥した。

彼は散文では現わされないものだけを詩の素材とすべきだと考えた。

そうして「ホーマーのおかげで詩は横道に迷込んでしまった。

ホーマー以前のオルフィズムこそ正しい詩の道だ」と云ったそうである。

この所説の当否は別問題として、この人の云う意味での正しい詩の典型となるべきものが日本の和歌や俳句であろう。

雄弁な饒舌は散文に任して真に詩らしい詩を求めたいという、そういう精神に適合するものが正にこうした短詩形であろう。

この意味でまた日本各地の民謡などもこのいわゆるオルフィズムの圏内に入り込むものであるかもしれない。

 詩形が短かい、言葉数の少ない結果としてその中に含まれた言葉の感覚の強度が強められる。

同時にその言葉の内容が特殊な分化と限定を受ける。

その分化され限定された内容が詩形に附随して伝統化し固定する傾向をもつのは自然の勢である。

さらばこそ万葉古今の語彙は大正昭和の今日それを短歌俳句に用いてもその内容において古来のそれとの聯関を失わないのである。

またそれ故にそれらの語彙が民族的遺伝としての聯想に点火する能力をもっているのである。

 しかしまたこれらの語彙の意義内容は一方では進化し発展しつつ時代に適応するだけの弾性をもっている。

「春雨」はビルディング街に煙り「秋風」は飛行機の翼を払うだけの包容性を失わないのである。

 こう考えて来ると、和歌と俳句は純粋な短詩の精神を徹底的に突きつめたものであり、またその点で和歌よりも俳句の方が一層極度まで突きつめたものだということになるのである。

 俳句における季題の重要性ということも同じ立場からおのずから明白であろう。

限定され、そのために強度を高められた電気火花のごとき効果をもって聯想の燃料に点火する役目をつとめるのがこれらの季題と称する若干の語彙である。

 有限な語彙の限定は形式の限定と同様往々俳句というものの活動の天地を限定するかのような錯覚を起させる。

近頃色々の無定形無季題短詩の試みがあるのは多くはこの錯覚によるのではないかと想像される。

しかし人間と化合した有機的の「春雨」「秋風」はその言葉の外形は不変であっても、その内容は人間社会と共に進化の歩みを止めることはない。

人間とその社会が新しくなれば、一緒に新しくなって行くものである。

詩形についても同様の事が云われる。

人体の解剖学的構造は二千年前の先祖とほとんど同じでも人間の思想は決して同じ処に止まっていないのである。

それと同じように、詩形は固定していてもそれに盛らるる精神的内容はいくらでも進化し得るのである。

 十七字のパーミュテーション、コムビネーションが有限であるから俳句の数に限りがあるというようなことを云う人もあるが、それは多分数学というものを習い損ねたかと思われるような人達の唱える俗説である。

少くも人間の思想が進化し新しい観念や概念が絶えず導入され、また人間の智恵が進歩して新しい事物が絶えず供給されている間は新しい俳句の種の尽きる心配は決してないであろう。

話が少し横道にそれてしまったが、ここで云わんとしたことは、俳句が最短の詩形であるがために、その語彙の中に聯想と暗示の極度な圧縮が必要であるということ、それからまたそういう圧縮が可能となるための基礎条件として日本人のような特異な自然観が必要であること、なおその上に環境条件として古来の短詩形の伝習によって圧縮が完成され、そうして出来上った語彙の象徴的効力がそれぞれに分化限定されたこと、それらの条件が具備して、そこではじめて俳句という世界に類のない詩が成立したということである。

以上は俳句の内容に関することであったがその五七五の定型についてもその成立が決して偶然でないことは次の所説から理解されようかと思う。

 ジュール・ロマンという人が、フランス人の作ったいわゆるハイカイを批評した言葉の中におおよそ次のような意味の苦言がある。

「俳句の価値はすべての固定形の詩の場合と同様に詩形の固定していること、形式を規定する制約の厳重なことに存している。

かつて仏国にソンネット詩形を取入れたとき、多少この詩形の規則を外れたようなものを作ったものもあって、いかもの扱いにされたことであったが、それでもその規則はずれの自由さはほんのわずかの程度のものであった。

しかるにフランスのハイカイはなるほど三つの詩句で出来ているというだけは日本のに習っているが、一句の長さにはなんの制限もないし、三句の終りの語呂の関係にも頓着しない。

それでは云わば多少気の利いたノート・ド・カルネー(手帳の覚書き)位にはなるかも知れないが、しかし日本俳句の力強さも、振動性も拡張性もない」というのである。

外国人の所説としては面白いものと思われる。

 実際短かい詩に定型がなかったら「手帳の覚書き」との区別はつきにくい。

しかし「古池に蛙が飛込んで水音がした」がなぜ散文で、「古池や蛙飛込む水の音」がなぜ詩であるか。

それは無定形と定形との相違である。

しからば前者の五、九、七を一つの異なる定型としてはなぜいけないか。

この疑問に答えるには日本における五七調の成立と、その必然性とを考えなければならない。

どうして日本に五、七あるいは七、五の律動が普遍化したかということはむつかしい問題である。

今のところ明白な説明は出来そうもない。

私見によると恐らくこれは四拍子の音楽的拍節に語句を配しつつ語句と語句との間に適当な休止を塩梅する際に自然に出来上った口調から発生したものではないかと想像されるのであるが、これについては別の機会に詳説することとして、ここではともかくそうして出来た五七また七五調が古来の日本語に何かしら特に適応するような楽律的性質を内蔵しているということをたとえ演繹することは困難でも、眼前の事実から帰納することが出来ればそれで少くもこの場限りの目的には十分であろうと思われる。

古事記などの古い部分に現われた色々の歌ではまだ七五の形は決定していないで、色々の字数の句が錯雑している。

そうしてその錯雑した中に七五あるいは五七の胚芽のようなものが到処に散点していることが認められる。

それがいつとはなしに自然淘汰の篩にでもかけられたかのように色々な異分子が取除かれて五と七という字数の交互的連続に移って行っている。

こういう現象は決して権勢の力や金銭の力で招致することの出来ないものであって、やはり進化論的の意味での自然淘汰、適者生存の理によるものであろうと思われる。

この七五、また五七は単に和歌の形式の骨絡となったのみならず色々な歌謡俗曲にまで浸潤して行ってありとあらゆる日本の詩の領分を征服し、そうしてすべての他の可能なるものを駆逐し、排除してしまっている。

これは一つの大きな「事実」である。

そうだとすれば、これだけの強勢な伝播と感染の能力を享有する七五の定数にはやはりそうなるだけの内在的理由があると考えるより外に途はないであろうと思われる。

要するに七五の定数律は人のこしらえたものではなくて、独りで生まれ独りで生長して来たものである。

それで今にわかに人為的にこれを破壊し棄却しようとしてもそう急速には意のままにならないであろうと考えられる。

これは理窟ではなくて事実なのである。

 次には俳句が七五七でなくて五七五であるのはどういう訳かという疑問が起こる。

和歌の上の句と同型だからというのも一つの説明にはなるが、それとは独立にも五七五の方が短詩の形式として優れていると思われる理由もなくはない。

初五が短かいためにそのあとでちょっとした休止の気味があって内省と玩味の余裕を与え、次に来るものへの予想を醗酵させるだけの猶予を可能にする。

中七は初五で提出された問題の発展であり解答であるので長さを要求する。

最後の五は結尾であって、しかもそのあとに余韻の暗示を与え、またもう一遍初五をふり返えってもう一遍詠み直おすという心持を誘致するためには、短かい方が有効であるかと思われる。

これはあるいは多少牽強附会の説と見られるかも知れないがしかしとにかく一応こういう説も立て得られるということは事実であろうと思われる。

 次に「切れ字」というものの意義についてはすでに他の場所で解説したことがあるからここには略するが、これも要するに決して偶然なものでもなく、人工的のものでもなく極めて自然で必然な短詩の制約の一つとして見るべきものである。

 以上私は俳句の形式の必然性についてかなりくどくどしく述べて来たようであるが、そうしたわけは私の考では俳句の精神と云ったようなものは俳句のこの形式を離れては存立し難いものと考えるからである。

その精神とはどんなものか、それについては章を改めて述べてみたいと思う。

二 俳句の精神とその修得の反応

 この講座の編輯者から私は「俳句の精神」という課題を授けられた。

この精神とは何を意味するか私にはよく分らない。

多分「わび」とか「さびしおり」とか「風流」とかいうことの解説を要求されていることかとも思われた。

しかし、そういう題目については従来多くの先輩の各方面からの所論や説述があり、私自身にもすでに色々な場所で繰返して私見を述べて来たことであるから、今更にまた同じことを繰返したくないような気がする。

それでここではむしろ少しちがった角度からこの問題を考えてみたいと思う。

 前に述べたように俳句というものの成立の基礎条件になるものが日本人固有の自然観の特異性であるとすると、俳句の精神というのも畢寛はこの特異な自然観の詩的表現以外の何物でもあり得ないかと思われて来る。

 日本人の自然観は同時にまた日本人の人世観であるということもすでに述べた通りである。

「春雨」「秋風」は日本人には直ちにまた人生の一断面であって、それはまた一方で不易であると同時に、また一方では流行の諸相でもある。

「実」であると同時に「虚」である。

「春雨や蜂の巣つたふ屋ねの漏」を例にとってみよう。

これは表面上は純粋な客観的事象の記述に過ぎない。

しかし少くも俳句を解する日本人にとっては、この句は非常に肉感的である。

われわれの心の皮膚はかなり鋭い冷湿の触感を感じ、われわれの心の鼻は徽や煤の臭気に咽せる。

そのような官能の刺戟を通じて、われわれ祖先以来のあらゆる侘しく淋しい生活の民族的記憶が喚び醒されて来る。

同時にまた一般的な「春雨」のどこか華かに明るくまた媚めかしい雰囲気と対照されてこの雨漏の律しさが一層強調される。

一方ではまたこの「蜂の巣」の雨に濡れそぼちた姿がはっきりした注意の焦点をなして全句の感じを強調している。

この句を詠んだ芭蕉は人間であると同時に、またこの蜂の巣の主の蜂でもあったのである。

 このように自然と人間との交渉を通じて自然を自己の内部に投射し、また自己を自然の表面に映写して、そうして更にちがった一段高い自己の眼でその関係を静観するのである。

 こういうことが出来るというのが日本人なのである。

 こういう風な立場から見れば「花鳥調詠」とか「実相観入」とか「写生」とか「真実」とかいうような色々なモットーも皆一つのことの色々な面を云い現わす言葉のように思われて来るのである。

短歌もやはり日本人の短詩である以上その中には俳句におけるごとき自然と人間の有機的結合から生じた象徴的な諷詠の要素を多分に含んだものも甚だ多いのであるが、しかし俳句と比較すると、和歌の方にはどうしても象徴的であるよりもより多く直接法な主観的情緒の表現が鮮明に濃厚に露出しているものが多いことは否定し難い事実である。

そうした短歌の中の主観の主はすなわち作者自身であって、作者はその作の中にその全人格を没入した観があるのが普通である。

しかし俳句が短歌とちがうと思われる点は、上にも述べたように花鳥風月と合体した作者自身をもう一段高い地位に立った第二の自分が客観し認識しているようなところがある。

「山路来て何やらゆかし董草」でも、董と人とが互にゆかしがっているのを傍からもう一人の自分が静に眺めているような趣が自分には感ぜられる。

 短歌と俳句との精神というかあるいは態度というか、とにかくその内容に対する作者自己の関係の両者における相違を強いて求めてみると、その相違が主として上記の点に係わっているように思われる。

このような差別の起った一つの原因は、俳句の詩形が極度に短かくなったために、もし直接な主観を盛ろうとすると、そのために象徴的な景物の入れ場がなくなってしまうので、その方を割愛して象徴的なものに席を譲るようになり、したがって作者の人間は象徴の中に押し込まれ自然と有機的に結合した姿で表現されるより外に仕方がなくなる。

その結果として調詠者としての作者は、むしろ読者と同水準に立って、その象徴の中に含まれた作者自身を高所から眺めるような形になる。

そう云ったような訳ではないかと思われるのである。

 この事と聯関してちょっと面白い話がある。

私の知っているある歌人の話ではその知人の歌人中で自殺した人の数がかなり大きな百分率を示している。

俳人の方を聞いてみると自殺者は極めて稀だという。

もちろんこれは僅少な材料についての統計であるから、一般に適用される事かどうかは分らないが、上述のごとき和歌と俳句との自己に対する関係の相違を考え合わしてみると面白い事実であろうかと思われる。

いかなる悲痛な境遇でもそれを客観した瞬間にはもはや自分の悲しみではない。

 歌人と俳人とではあるいは先天的に体質、したがってそれによって支配される精神的素質がちがっているのではないかという想像さえ起こし得られる。

近頃流行の言葉を使えば、体内各種のホルモンの分泌のバランスいかんが俳人と歌人とを決定するのではないかという気もする。

これはしかるべき生理学者の研究題目になり得るのではないかと思われる。

 それはいずれにしても、上述のごとき俳句における作者の自己の特殊な立場は必然の結果として俳句に内省的自己批評的あるいは哲学的な匂いを附加する。

「風流」と云い「さび」というのも畢寛は自己を反省し批評することによってのみ獲得し得られる「心の自由」があって、はじめて達し得られる境地であろうと思われる。

 風流とかさびとかいう言葉が通例消極的な遁世的な意味にのみ解釈され、使用されて来た。

これには歴史的にそうなるべき理由があった。

すなわち仏教伝来以後今日まで日本国民の間に浸潤した無常観が自然の勢で俳句の中にも浸透したからである。

しかし自分の見るところでは、これは偶然のことであって決して俳句の精神と本質的に聯関しているものとは思われない。

仏教的な無常観から解放された現代人にとっては、積極的な「風流」、能動的な「さび」はいくらでも可能であると思われる。

日常劇務に忙殺される社会人が、週末の休暇にすべてを忘却して高山に登る心の自由は風流である。

営利に急なる財界の闘士が、早朝忘我の一時間を菊の手入れに費やすは一種の「さび」でないとは云われない。

日常生活の拘束からわれわれの心を自由の境地に解放して、その間にともすれば望ましき内省の余裕を享楽するのが風流であり、飽くところを知らぬ慾望を節制して足るを知り分に安んずることを教える自己批判がさびの真髄ではあるまいか。

 俳句を修業するということは、以上の見地から考えると、退嬰的な無常観への逃避でもなければ、消極的な諦らめの哲学の演習でもなく、また独りよがりの自慰的お座敷芸劃でもない。

それどころか、ややもすればわれわれの中のさもしい小我のために失われんとする心の自由を見失わないように監視を怠らないわれわれの心の眼の鋭さを訓練するという効果をもつことも不可能ではない。

 俳句の修業はその過程としてまず自然に対する観察力の練磨を要求する。

俳句をはじめるまではさっぱり気付かずにいた自然界の美しさがいったん俳句に入門するとまるで暗闇から一度に飛出してでも来たかのように眼前に展開される。

今までどうしてこれに気が付かなかったか不思議に思われるのである。

これが修業の第一課である。

しかし自然の美しさを観察し自覚しただけでは句は出来ない。

次にはその眼前の景物の中からその焦点となり象徴となるべきものを選択し抽出することが必要である。

これはもはや外側に向けた眼だけでは出来ない仕事である。

自己と外界との有機的関係を内省することによって始めて可能になる。

句の表現法は、言葉やてにはの問題ばかりでなくてやはり自然対自己の関係のいかなる面を抽出するかという選択法に係わるものである。

 このような選択過程はもちろん作者が必しも意識して遂行する訳ではないが、しかしそういう選択の能力は俳句の修業によって次第に熟達することの出来る一種不思議な批判と認識の能力である。

こういう能力の獲得が一人の人間の精神的所得として

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