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日本庭院教案.docx

日本庭院教案

第一段

 日本の庭は、日本人が作り出した芸術の中でも、もっとも大規模で、複雑で、美しい。

その美しさは、歴史、様式の変遷、技術上の細部について知られているが、なぜ庭が美しいのか、なぜ古い庭が新しいか、日本的な美しさが普遍的な美しさに通じていることは知られていない。

 例えば、近松は日本では生きていない。

それは日本には、今日生きている問題を求めて、日常たえずそこへ立ち返るような古典がないことを意味している。

 戦争中に権力の強制がある時代でも、国学者の発見を蒸し返す程度しかできなかったのだから、権力の強制のない今では、日本精神や日本の古典について語られていない。

自国の古典に意味を見出せないものが、他国の古典に意味を見出すことは難しい。

 筆者が庭に興味を持ち始めたのは、ある「印象」である。

それぞれの時代に最も深く根ざしている芸術が、最もよく時代を超えて今日に生きている、日本人の感受性と意識の構造に、最も強く離れ難く結びついている作品が、最もよく民族的限界を越えて、普遍的な世界に生きていることは、「印象」から導ける。

 そして、芸術家は、作品を通じてある一定の「印象」を確実に与えるために、自ら所有するあらゆる手段を、自由に支配し、駆使する。

 筆者は、日本の庭に、日本的なものではなく普遍的な「印象」を受けた。

第二段

 修学院離宮と竜安寺の庭の対比である。

 修学院離宮の庭は、1)境がない。

2)人は自然の中に入るのであって、庭の中に入るのではない。

3)庭は庭ではない。

4)自然は、古代的、牧歌的、即自的。

5)自然的なものと人間的なものは区別されず、6)自然対人間の対立は意識されない。

7)自然を模倣する。

8)本質をとらえない。

9)後水尾院は、離宮で生活していた。

 竜安寺の庭は、1)額縁の中にある。

2)人は庭を見るので、庭の中に入るのではない。

3)庭は見られるものにすぎず、額縁に当たる三方の白壁は、目立たない方がよい。

4)自然は、近代的、客観的、対自的。

5)自然的なものと人間的なものが区別され、6)人間に対する自然として意識される。

7)自然を模倣せず、8)人間的な精神的な象徴主義的な方法によって、自然の本質をとらえている。

9)相阿弥は庭の中で生活しなかった。

 しかし、それら庭は宇宙ではなかった。

しかし、宇宙である庭は存在した。

その中に人が身を置くところのものである、その中に入ることができる、境のある世界、自然から区別され、・額縁の中に限られたものでなく、人を包み家を包み一切を包み、単に見られるものではなく、その中で動き、生き、考えることができる庭。

精神にとってのある対照ではなく、唯一の宇宙である庭である。

第三段

 人は桂離宮の庭に入ることができても、建物や生け垣に遮られてその庭を見ることができない。

そして、月見台の上に出て、初めて庭を見るというよりも、もう一つの中にいる自分自身を見出す。

「もう一つの世界」には竜安寺の庭のような額縁がない。

明らかに境されているが、その境は無限に遠くにある。

風景は書院の正面に向かって開いているのでなく、書院が風景の中にある。

人は風景に対しているのでなく、人は「第二の自然」の中にある。

「第二の自然」は「もう一つの世界」であり「第二の人生である夢」である。

そこには、池の水、島、林、田園風景、芝生、並木、苔、芝生などの自然の素材の美しさや、石組み、敷石の幾何学、建築の形式、屋根の曲線、柱の直線、壁のひろがりなどの人間的な形式の美しさなど、この世のあらゆるものがある。

しかも、それらがこの世の秩序とは異なる秩序の中にある。

第一の現実の自然の秩序を追究し、その根源にある本質的なものを認識し、それを基にして新しく構築して理想的な現実として作り上げた秩序である。

 その夢のような非現実的な世界であるが、覚めた明晰な精神に訴えるような理性的な思考による現実の世界である。

タウトは「桂では、目(視覚)が考える」、視覚的な感覚的感動を思考に転換させると言ったが、さらに遠い夢と考えるという行為が一つになっているのが桂離宮の魅力がある。

 桂離宮の庭には、月波楼の海、賞花亭の森と峠、笑意軒の田園風景、松琴亭の山水、新書院の芝生と日常生活の、五つの中心があり、さらに、その全体を一望できる古書院の月見台という一つの中心がある。

五つの中心は部分は部分として、それぞれ独立の役割を果たしながら、一つ中心の全体の秩序に奉仕している。

私たちはその全体の秩序、統一、調和を実際に見ている。

第四段

 桂離宮を作ったのは小堀遠州と言われているが、その弟子を含めて彼の流れをくむもう一人の小堀遠州であろう。

彼らは、ダンテやバルザックのように、自然劇の作者として人間の歴史に記憶されねばならない。

 「万葉集」の主な主題の一つは自然である。

万葉の詩人は、海を歌い、山を歌い、野と森と季節の移り行きを歌った。

シナ文学にない繊細な感受性、インドヨーロッパ文学にない感覚的な鋭さをもって、美しい自然を描いた。

その美しさは、自然そのものの中でなく、その自然を美しいものとしてとらえ、表現し、鑑賞するという日本文化そのものの中に理由がある。

その美しさは、「枕草子」の感受性の鋭さ、「今昔物語」「徒然草」の観察の細かさ、「新古今集」の美的な自然哲学、能の象徴主義「花」、茶の芸術的生活「さび」に受け継がれたが、伝統として固定化され生命を失う。

その後、「奥の細道」「鶉衣」「黄葉夕陽村舎詩」でよみがえりながら次第に衰えて言った。

明治になって子規を通じて私小説の世界に流れ込む。

しかし、日本文化固有な自然感情や自然の意識が、観察と感受性と表現力において、総合的本質的に現れた「調和」が桂離宮の庭である。

 桂離宮の古書院の月見台が支配していたのは美しい世界、つまり、目を奪うような派手で低次元の華麗さはないが心の心底から味わえる美しい世界、人を圧倒するようなこけおどしの巨大さはないが人の心にしみ通って来る力強い世界、ただ奇をてらうことを目的にした低俗な技巧はないが神業のような技巧を超えている世界である。

分析的にとらえたり、法則に還元したり、精神に対立し克服すべき抵抗として素材を芸術家に提供する西欧の自然観ではなく、芸術家を包み芸術的実現の最後の目標としてある美の本質を、日本自然美の本質の全体として「調和」された世界を表現している。

これは、日本的なものの中で最も日本的なものであり、最も普遍的なものである。

第五段

 エドガアー=アラン=ポオは「アルンハイムの庭」という作品で、桂離宮と同じ庭の概念を描いた。

自然より自然的な第二の自然、現実の自然の美しさを人間的な形式の美しさで再構築した自然、最も人間的な精神の自己実現の場所を作り出した。

主人公は莫大な遺産をつぎ込んで、最も複雑な芸術、自然の美しさと人間的な美しさをとのすべての結合を可能にする芸術、数学的な法則に支配されしかも法則を超える芸術である庭を作る。

庭は、知性によって造られ、法則によって限定されているが、知性のみによっては造られず、法則の限定の内側に無限の可能性を持っている。

だから、批評家は庭の持つ知性と法則の領域を超えることができないので、庭を評価することができない。

庭は結果としてそこにあるだけである。

ポオが言ったように「創造において燃焼する最も強い力は、その結果をもって計るほかない」のである。

 日本の庭造りは、日本の自然の美しさを、その究極まで、自然の本質そのものの美しさまで究めねばならない。

その極みにおいて、最も特殊な世界は最も普遍的な世界に通じる。

そして、結果である庭を残し、我々に強い印象と感動を与えることに成功した。

庭の部分部分について分析することは多くあるが、庭全体の本質として語るべきことは一つ、「庭は美しい」というしかない。

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第一段     板書

1.学習プリントを配布して、学習の準備を宿題にする。

 ・基本問題も、教科書に線を引かせる。

2.家に庭があるか、知っている有名な庭の名前、庭は何をするものかを質問する。

 ★庭についての生徒の概念を引き出しておく。

3.形式段落ごとに、1~19の番号を付けさせる。

4.全体を五段落に分ける。

 ・第一段 1~6

  第二段 7~9

  第三段 10~13

  第四段 14~16

  第五段 17~19

5.学習プリントの読みと意味を確認する。

 2変遷=移り変ること。

移り変り。

  普遍=すべてのものに共通に存すること。

同一般反特殊

 3懐古=昔の事をなつかしく思うこと。

  アカデミズム=学問、芸術において伝統的保守的な立場をとる傾向。

 6概念=事物の本質をとらえる思考の形式。

6.生徒と音読する。

7.1)筆者は、日本の庭はあらゆる芸術の中でどんなものであると考えているか。

 ・最も大規模

 ・複雑

 ・最も美しい

 ★筆者が芸術の美しさの基準を、大規模、複雑さに置いていることを確認する。

8.庭の美しさは知られているが、2)庭についての美しさ以外に知られていることは何か。

 ・造園の歴史

 ・様式の変遷

 ・技術上の細部

9.しかし、3)庭についての美しさで知られていないことは何か。

 ・なぜ美しいか。

 ・古い庭がいかに新しいか。

 ・日本的な美しさがいかに普遍的な美しさに通じているか。

 ★「古い」と「新しい」、「日本的」と「普遍的」が矛盾しているが、そこに美しさを感じていることを確認する。

 ★なぜ、その相反することの間に美しさがあるかを読解していくことが、この評論の目的になることを確認する。

10.近松の例について

 1)「そういうこと」(3)は何を指示しているか。

  ・日本的な美しさがいかに普遍的な美しさに通じているか。

 2)近松についての知識を質問し、なぜ他の人物でなく近松なのか。

  ・ラシーヌ、シェイクピアが劇作家であり、日本の古典を代表する作家であるから。

 3)ラシーヌとフランス人、シェイクピアとイギリス人の関係に比べて、近松と日本人の関係は。

  ・ラシーヌやシェイクピアは現在でも日常的に語られるが、近松は日本では日常的に語られない。

 4)4)筆者は、近松をどのようなものの例として挙げているか。

  ×懐古趣味的な対象

  ×歴史的な興味の対象

  ×アカデミズムの慣習

  ○今日生きている問題を求めて、日常立ち返る古典

 5)「権力の強制」が指している歴史的事実は。

  ・戦争中に国威を鼓舞するためにいかに日本が優れた文化を持っていたかを強調するために古典を過度に賞賛した。

 6)「強制のない今」古典について語ることが「季節外れ」である理由を説明する。

  ・戦争中の反省の行き過ぎとして、古典を賞賛することは軍国主義や国家主義に結びつくとして、極端に古典を否定する風潮がある。

 7)5)筆者は、自国の古典と他国の古典の関係をどのように考えているか。

  ・自国の古典に意味を見いだすことができないものが、他国の古典の中に意味を見いだすことは難しい。

  ★ここに、本当の国際理解教育とは何かという問題がある。

  ★国歌、国旗についても同じ議論がある。

11.筆者と庭の関係について

 1)6)筆者が庭に興味を持つきっかけになったものは何か。

  ・印象

  ・印象といえば一般的に根拠の薄いものであるが、筆者は「あいまいなものであい」「偶然的なものではない」と強調している。

 2)その印象から導かれる7)「芸術の世界における奇跡」とは何か。

  ・それぞれの時代に最も深く根ざしている芸術が、最もよく時代を超えて今日に生きている。

  ・日本人の感受性と意識の構造に、最も強く離れ難く結びついている作品が、最もよく民族的限界を越えて、普遍的な世界に生きている。

 3)印象を芸術家の立場から見たとき、8)「芸術家の成功」とは何か。

  ・作品を通じてある一定の「印象」を確実に与えるために、自ら所有するあらゆる手段を、自由に支配し、駆使する。

 4)結局、9)筆者は日本の庭に何を見たか。

  ・普遍的なあるもの。

  ★その普遍的なあるものとは何かを読解していく。

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第二段     板書

1.学習プリントを配布して、学習の準備を宿題にする。

 ・基本問題も、教科書に線を引かせる。

2.学習プリントの読みと意味を確認する。

 8牧歌的=素朴で抒情的なさま。

  即自=あるものが自己同一を保っている状態。

精神から独立して存在する存在。

  対自=あるものが自己と対象とに分裂している状態。

自己に対立するものが現れる段階。

  熟達=なれてじょうずになること。

  精通=くわしくよく知っていること。

 9対照=くらべ合わすこと。

対比。

互いに対立する二つの要素がはっきりすること。

3.修学院離宮と竜安寺について知っていることを質問し、説明する。

 ・インターネットから取ったプリントを配布する。

 ・書籍を見せる。

4.1)修学院離宮と竜安寺の記述を比較する。

修学院離宮竜安寺

1)境がない

2)人は自然の中に入る。

3)庭は庭ではない。

4)自然は、古代的、牧歌的、即自的。

5)自然的なものと人間的なものは区別さ れず、

6)自然対人間の対立は意識されない。

7)自然を模倣する。

8)本質をとらえない。

9)後水尾院は、離宮で生活していた。

1)額縁の中にある。

2)人は庭を見る。

3)庭は見られるものにすぎない。

4)自然は、近代的、客観的、対自的。

5)自然的なものと人間的なものが区別さ れ、

6)人間に対する自然として意識される。

7)自然を模倣せず、

8)自然の本質をとらえている。

9)相阿弥は庭の中で生活しなかった。

5.修学院離宮の庭には境がなく、竜安寺の庭には額縁があるとは。

 ・塀や垣根はあるが、庭の外にある自然の景観を庭の眺めに借りている「借景式」なので、境がないように感じられる。

 ・三方を壁に囲まれ、一方だけを見る人に開放している。

周囲からはっきりと区切られている。

6.修学院離宮の「庭は庭ではない」とは。

 ・一つ目の庭は、修学院離宮の庭を特定し、二つ目の庭は、一般的な庭を指している。

 ・一般的な庭とは、人工的な単なる庭である。

 ・修学院離宮の庭は人工的な庭ではなく、自然の中にあり、自然を模倣したものであるから一種の自然であり、単なる庭ではない。

7.竜安寺の「第三の壁」とは何か。

 ・四面を壁で囲まれた空間内部を、壁の一面を取り払って見ることができるようにしてある。

 ・背面を第一、側面を第二、正面を第三としている。

8.竜安寺の白壁の外について説明する。

 ・額縁の中の風景とは関係がない。

 ・美術館の壁のようなものである。

 ・だから、目立たない方がよい。

 ・例えば、×目覚めるような紅葉の秋。

      ○枯れた林の冬の午後。

      ○若芽の林の春の夕暮れ。

9.修学院離宮が即自で、竜安寺が対自であることを考える。

 ・即自とは、対立物はなく自分自身しか存在していない状態。

未発展の段階。

正。

 ・修学院離宮は、自然を人間と対立的なものとして意識していないので、即自である。

 ・対自とは、対立物が現れ、それを否定契機として即自の状態から発展する。

反。

 ・竜安寺は、自然を人間と区別して意識しているので、対自である。

 ・さらにこの先に、「正」と「反」を止揚し、統一を回復した一段高まった状態である合」がくる。

それが桂離宮である。

10.自然の模倣と本質の関係を考える。

 ・自然を写実的に表現する時は、そのまま模倣すればよいので、本質を考えなくてよい。

 ・自然を象徴的に表現する時は、自然の本質を抽出しなければならない。

11.相阿弥と後水尾院を説明する。

 ・相阿弥は、芸術家であり、たえず美の本質を追究した。

 ・後水尾院は、生活者であり、美を実用して楽しんだ。

12.「宇宙」について。

 1)3)筆者の「宇宙」の定義は何か。

  ・その中に人が身を置くところのもの。

  ・哲学的には、世界全体。

  ★見られるための竜安寺の庭ではないが、修学院離宮とも少し違う。

 2)さらに、定義を抜き出し、修学院離宮と竜安寺と比較する。

  ・その中に入ることのできる庭。

(○修学院)

  ・それ自身境のある世界。

(○竜安寺)

  ・自然から明らかに区別される。

(○竜安寺)

  ・額縁の中に限られたものではない。

(×竜安寺)

  ・一切を包む庭。

(新しい概念)

  ・単に見られるものではない。

(×竜安寺)

  ・その中で動き、生き、考えることのできる庭。

(△修学院)

  ・精神にとっての対象ではない。

(×竜安寺)

  ・唯一の宇宙である庭。

(新しい概念)

 3)第三の庭を想定していることを確認する。

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第三段     板書

1.学習プリントを配布して、学習の準備を宿題にする。

 ・基本問題も、教科書に線を引かせる。

2.読み方を確認しなさい。

3.学習プリントの意味を確認する。

 11隠顕=隠れたり見えたりすること。

  灌木=低い木。

ふつう高さ約二メートル以下の樹木。

  幾何学=図形や空間の性質を研究する数学の一部門。

 12明晰=明らかではっきりしていること。

4.第二段の復習をする。

修学院離宮竜安寺唯一の宇宙である庭

1)境がない

2)自然の中に入る

3)自然と人間を区別しない

4)庭の中で生活していた 

1)額縁の中にある

2)庭を見る

3)自然と人間を区別する

4)庭の中で生活しなかった1)境のある世界

 額縁の中に限られたものではない

2)庭の中に入る

3)人や一切を包む

4)庭の中で動き生き考える

5.生徒と音読する。

6.基本問題をさせる。

 101)桂離宮の特徴は何か。

 112)桂離宮にあるこの世のあらゆるものとは何か。

( )でくくりなさい。

 133)桂離宮の五つの中心は、どこで、そこには何があるか。

  4)その五つの中心の中の一つの中心は、どこで、そこには何があるか。

  5)新たな問題提起は何か。

7.桂離宮の特徴の一つである、「見ることができない」「その中に入ることができる」 について考える。

 1)竜安寺や修学院離宮との違いは。

  ・竜安寺とは明らかに違う。

  ・修学院離宮は自然の中に入るが、桂離宮と庭の中に入る。

 2)門を入って書院に入るまで、建物と庭に遮られて庭を見ることができない。

 3)「庭を見る」と「もう一つの世界の中にいる自分自身を見いだす」の違いを考える。

  ・「見る」は、見る人間と見られる庭が別個のものとして対立している。

  ・「見いだす」は、庭の中に人間が包まれている。

  ★図示して説明する。

 4)風景は「書院の正面に向かって開いている」と「書院が風景の中にある」の違いは。

  ・「見る」と「見いだす」の違いと同じ。

  ・別個のものとして対立しているか、内包されているか。

 5)「人は風景に対している」と「第二の自然の中にいる」の違いは。

  ・これも、別個のものとして対立しているか、内包されているか。

8.「第二の自然」について

 1)10の中での言い換えは。

  ・第二の人生である夢

  ・もう一つの世界

 2)「もう一つの世界」とは何か。

  ・額縁がない。

  ・境はあるが、境は無限に遠い。

  ・木立と森の間に境があるが、木立に遮られて見えず、森やその向こうの景色と一体化している。

  ・自然の中にあって、人間によって見えないように切り取られ、加工されている。

  ★図示して説明する。

 3)「夢」の中の「この世のあらゆるもの」を大きく2種類に分けると。

  ・自然素材の美しさ。

  ・人間的な形式の美しさ。

 4)「自然素材の美しさ」の具体物は。

  ・○広い空を映す池の水。

○木立に覆われた島。

×松琴亭の屋根、×石組の美しい岸、○紅葉の林、×土橋、×茅葺きの屋根、○田園風景、○芝生、○並木、×書院の白壁、○苔

 5)「人間的な形式の美しさ」の具体物は。

  ・滝口の石組、敷石の幾何学、建築の様式、屋根の曲線、柱の直線、壁の広がり

 6)「この世の秩序とは異なるある秩序」とは。

  ・もともとの自然の中にある秩序を再構成し、人間が作り出した第二の自然の秩序。

 7)「覚めた、明晰な、精神に訴える夢」とは。

  ・夢という曖昧なものでありながら、

  ・人間の理性や思考によって再構成されている。

 8)「桂では目が考える」とは。

  ・目でとらえるものは感覚的で、考えるは思考的なもので、元来相容れないものである。

  ・視覚的感動を、論理的思考に転換させる。

  ・夢からさらに遠いものになっていく。

9.庭の中心について

 1)5つの中心とは。

  1)月波楼の海

  2)賞花亭の森と峠

  3)笑意軒の田園風景

  4)松琴亭の山水

  5)新書院の芝生と日常生活

 2)5つの中心のまた一つの中心とは。

  ・古書院の月見台

 3)古書院の月見台の特徴は。

  ・部分が部分として、それぞれ独立の役割を果たしながら、全体の秩序に奉仕している

  ・全体の秩序、統一、調和。

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第四段     板書 

1.学習プリントを配布して、学習の準備を宿題にする。

 ・基本問題も、教科書に線を引かせる。

2.読み方を確認しなさい。

3.学習プリントの意味を確認する。

 15有為転変= この世の中の事物一切は因縁によって仮に存在しているもので、常に移り変わっていくはかないものであるということ。

  犬儒=伝統的な社会慣習を軽蔑し、意識的に無視するような考え方や態度。

  饗宴=客をもてなすための宴会。

 16分析=複雑な事柄を一つ一つの要素や成分に分け、その構成などを明らかにすること。

  還元=物事をもとの形・性質・状態などに戻すこと。

  克服=努力して困難にうちかつこと。

4.桂離宮の作者について

 1)第二段の最後に「そのような庭を、誰が作ったか」があったことを確認する。

 2)小堀遠州について説明する。

  ・脚注26を読む。

  ・確証がないことを確認する。

 3)もう一人の小堀遠州とは。

  ・小堀遠州の影響を受けた日本の庭づくりたち。

  ・特定の有名な人物ではない。

  ・優れた才能を持つ無名の芸術家たち。

 4)ダンテやバルザックの説明をする。

  ・脚注27~30を参考にする。

  ・ダンテ-神曲

  ・バルザック-人間喜劇

  ・世界的に有名で、多くの人の記憶にある人物。

普遍的なものを作り出した。

 5)日本の庭造りたちの評価は。

  ・日本の庭造り-自然劇

  ・普遍的なものを作り出した。

5.日本の文化の流れについて

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