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大阪话

おおきに

「おおきに」は、英语でいう「サンキュー」、

标准语でいう「ありがとう」のこと。

口语

的に表记すると「おーきに」が近い。

れは、大阪弁の万能语なので、体得

たいとく

すると非常に使い胜手が良い。

とにか

く、会话の最后に「おーきに」をつけておけば、ものごとが円滑

えんかつ

にすすむという点では、英语の「サンキュー」とか「プリーズ」に近いかも

しれない。

もともとは、おおいに、たいへん、とても、といった分量

ぶんりょう

を表す言叶で、「おおきに、ありがとう」「おおきに、ご苦労さん」と下に言叶がつ

いていたのだが、それがだんだん省略されて、独立使用が一般的になった。

感谢を表す言叶としては、大阪の饮食店では、勘定をす

ませたお客さんを见送るときに、日常的に使われる。

「おおきに、またのおいでを…」といった使い方がスタンダード。

あるいは、友人に

食事をおごってもらったときなど、「おおきに、ごっつぉさん」と、軽く谢意を表すのも大阪的な用法だ。

恐缩している気持ちを表すのにも、おおきには使われる。

何かしくじりをしでかして、相手に许してもらったときなどは、「おーきに、すん

まへん。

もう二度としまへんから…」という具合に、拝み倒すようにこのフレーズが使われる。

こういう场合、「おおきに」と「すんまへん」は

対句として运用されることが多く、人に頼みごとをするときなどは必ず、「すんまへんなあ、忙しいのに…」といった切り出し方をする。

手が首をタテにふってくれたらすかさず、「おーきに、おーきに、すんまへんなあ」となるのである。

このように、万能の言叶ではあるが、逆に大阪弁がきちんと体得できていない人が使うと、人を小马鹿にしているように思われて、逆効

果になることも。

また商谈などの场で、「おーきに、考えときまっさ」と使われるのは、「ノーサンキュー」の意味が多分に含まれている。

阪弁のニュアンスがよくわかっていない人は、これを商谈成立と勘违いすることがあるので、気をつけたい。

大阪弁は、そういう意味では

诸刃の刃なのである。

なんぼ

日本桥の安売り电器店で、お店のお兄ちゃんと客のおばちゃんの会话

客のおばちゃん「ちょっとお兄ちゃん、これなんぼ」

お店のお兄ちゃん「へ、そこの値札に书いてあるとおりですけど」

客のおばちゃん

「何言うてんのん、こっからなんぼ引いてくれるんかって、闻いてんね

んやんか」

お店のお兄ちゃん

「うわぁ、お客さん、堪忍してくださいな。

これでうちはもうツツいっぱい、

赤字ですわ」

客のおばちゃん「そんなん言わんと、もっとまけたりいな」

「なんぼ」は、大阪の人なら、もう四六时中使う常用语。

英语でいう「ハウ・マッチ?

」、标准语でいう「おいくらですか?

」のことだ。

お店に客がやって来る、商品を手に取る、そこで店员に向かって「ちょっと、これなんぼ」と问うのが大阪の日常风景。

なんぼのボのとこ

ろにアクセントを置いて、やや伸ばし気味にいうと、大阪弁风の疑问形になる。

大阪人はお店でお金を払う段になると、体质的に値切り交渉に入る、とよく世间に喧伝されている。

一流百货店でも、ブランドショップで

も、はては海外のスーベニールショップでも、「まかりまへんか」とやっているらしい。

真伪は别にして、东京の人などは、日本桥の电器

屋街で、特価になっている商品を、まだ値引きさせようとする大阪人を见るとあきれるようだが、大阪人にとってこれは当然のビジネス行

为。

お店のほうも心得ていて、きっちり値引き巾を确保して値付けしているところが大半で、値ぎり交渉をしないほうが间抜け、という図

式が大阪ではできあがっている。

そういうシーンでは必ず「おっちゃん、これなんぼにしてくれるん?

」と軽いジャブの応酬が始まる。

「ほんなら、この端数を引かせてもら

います」「気は心や、もうちょいおまけしい」…という大阪式ネゴシエーションが延々と続くのである。

こういう时、“なんぼ”というフレーズを

使いこなせることが、大阪を生き抜くためのサバイバル术になるわけだ。

これとは别に大阪人はよく、「なんぼのもんじゃい」というフレーズも使う。

「今年の巨人は强いなあ」とG党が言うと、すかさず虎ファンが

「ジャイアンツがなんぼのもんじゃい!

」とやり返す。

これを、ちょっとコワモテ系の大阪人がドスを効かせて言うと、「仁义なき闘い」のBGM

なんかが闻こえてきそうで、けっこう怖い。

物事に対してクールで、合理性を重んじる大阪人はつねに、「あがってなんぼ」という実利的な现実主义をつらぬいている。

“なんぼ”

は、そういう大阪人気质が生み出した杰作术语のひとつといえるのかもしれない。

けったい

ある会社で同僚同士の会话

社员A「おい、B君、今日はどこに営业まわんねん?

社员B「はい、今日は船场界隈をぐるっと営业してきますわ」

社员A「船场いうたらキミ、あの顽固商会にも行くのんか?

社员B「そやねん、素通りいうわけにもいかんし…」

社员A「あそこは、けったいな社长がおるさかい、気イつけや」

社员B「はい、挨拶だけしたら、早々に退散してきますわ」

手に负えない人、というのが、たまにいる。

标准语でいうと、「まいったな、なんだよアイツ」とか「まったく、手に负えないな、ああいう手

合いは…」といった言叶が口をつく状况である。

こういうとき大阪では、「ほんま、けったいな奴っちゃなあ…」と叹息するのが一般的だ。

「けったい」とは、「けたい(卦体)」とか「きたい(希代)」が変化したもので、不思议なさま、奇妙なさま、世にもまれな様子を意味している。

语源は、易の卦木の形であったという。

「けったいなことの続くのは、何か変事のある知らせと」と坪内逍遥が『桐一叶』の中で使っている

から、少なくとも明治时代には、标准的な日本语であったことがうかがえるが、今では、大阪弁ぐらいでしかあまり闻かない日本语である。

浪花では、ちょっとエキセントリックな人とか、人と迎合しない风変わりな者、意固地な人などを称してけったいな人、という场合が多い。

あるいは、にっちもさっちもいかないトラブルに见舞われたりすると、「けったいなことに、なってしもうたなあ」とため息まじりに言ったりす

る。

どちらにしても、あまりポジティブなニュアンスはない言叶である。

しかし、浪花の商人道では、「けったい」と言われることは、ときにその人の才覚やオリジナリティが认められた称号であったりする。

言外

に「あいつ、もしたら、将来大物になるかもな…」とか「いまはただのアホやけど、化けるとオモロイことになるやろな」というニュアンスが含

まれている。

だから、若者ならときには、「あんた、けったいな人やなあ」と言われるぐらいがちょうどいいのである。

一方では、これを上品な大阪女性がたおやかに使うと、とても爱情にあふれていて艶っぽく闻こえる。

ちょっと游び上手な憎めない若旦

那が、店のおかみに悪ふざけをしたりすると、すかさずおかみが「いややわ、けったいな人」と、たしなめたりするシーンである。

いかにも

织田作风の、浪花人情物语が进展していきそうで、味のある言叶ではないか。

ほかす

ある夫妇の会话

「おーい、年末の大扫除で出てきた粗大ゴミ、まだ家にあるやんか。

どないかならんの」

「あ、そやそや、あんた、ええこと言うてくれた。

今日、荒ゴミの日や

わ」

夫「それやったら、ちょうどええがな」

妻「あそこの荒ゴミステーションに、まとめてほかして来て」

夫「よっしゃ、ほんなら、行ってくるわ」

妻「粗大ゴミやからいうて、自分のこと、一绪にほかしたらあかんで」

夫「ははは、こら~!

そら、しゃれにならんぞ。

手ついて、谢れ~!

妻「どうも、ごみんなさい」

関西系タレントの隆盛で、たいがいの大阪弁は全国区になったとはいえ、いまでもストレートに通じない言叶がある。

その最右翼にあげ

られるのが、この「ほかす」という言叶ではなかろうか。

関西弁の洗礼を受けていない纯粋东京系の人が、大阪人に、「これもう、ほかし

といて」と言われると、多くの场合、「この人、何を言ってるの?

」と、まごつくらしい。

これは、友人から闻いた话だが、新入社员时代に东京から大阪本社に配属された初日、书类を整理していた上司から「○○くん、この

古い书类、ほかしといて」と言われて、言叶の意味がまったく理解できず、愕然としたことがあるそうだ。

大阪人にとっては笑える话だが、

本人はいたって真剣。

「これから大阪でちゃんと生きていけるのか、目の前が真っ暗になった」という。

なんでも“ほかす”という言叶の

语感から、どこかにその物を置いておくとか、天日干しするとか、冷ますとか…その他もろもろのイメージが浮かぶのだそうだ。

でも、正

确には理解できない。

ここは日本なのか…オレはどうなるんだ…、という果てしのないパニック状态へと突入していったらしい。

大阪弁で「ほかす」とは、「舍てる」の意味である。

非常にディープな大阪弁と思われがちだが、「放下(ほうか)す」という古语が転じたも

ので、もとは、うち舍てておく、舍てる、舍て置く、うっちゃるという意味がある标准语であった。

これがなぜ、大阪ローカルになってしま

ったのかはよくわからないが、言叶そのものの意味が通じないというイミでは、まさしく外国语ドーゼンの大阪弁である。

でも、大阪の人

たちは、日常的にこの言叶を使う。

「もう、それいらんわ。

ほかしといて」とか、「そんなしょうもないもん、はよほかしてしまい」とか、「あんな

男、こっちからもらいさげや、もうほかしたるわ」とか…。

ちなみにその友人は后日、同じ上司から「○○くん、この本、なおしといて」といわれて、再びパニックになったという。

东京では“なおす”

というのは修理のこと。

どこも痛んでいない本のどこを修理するのか?

部长は何を言ってるんだ…ここはどこ…私はダレ…。

大阪弁のキ

ツイ洗礼は、まだまだ続いたそうだ。

合掌。

いらち

ある夫妇の会话

夫「おーい、あれ、どこいった、あれ」

妻「あれて、なんですの?

夫「えーい、ワシがあれ言うて、わからんのか、おまえは」

妻「あんさんがわからんもん、うちがわかるわけあれへん」

夫「えーい、もうええ!

ワシ、会社行って来る」

妻「ほんまに、いらちな人やな、あんさんは」

夫「ほっとけ、生まれつきじゃ」

妻「それはええけど、あんさん。

ステテコのままでっせ」

大阪人はいらちである。

じっくり考えもせずにいきなり行动にでる。

人の话を最后まで闻かない。

信号が青に変わる前にフライングする。

エスカレーターやムービングウォークではせかせか歩く。

エレベーターに入ったら闭ボタンをやたら押しまくる。

ウエイトレスの都合など

おかまいなしに注文をがなりたてる…。

こうして并べていくと、大阪人は、グレートないらちであることがよくわかる。

「苛ち」とは、すぐにイライラする、気の短い、せっかちさんのことをいう。

でも、大阪では、気の长い人间というのはかなりめずらしいので、

いらちというのは、大阪人の民族アイデンティティのようなものである。

大阪人のいらちがどれぐらいのものかというと、よく引き合いに出されるのが、歩行スピードである。

「地域文化特性と运动行动」という国

际交通安全学会志によると、大阪人の歩行速度は、秒速1.60メートルで、ダントツの世界一なのだそうだ。

2位が东京で1.56メートル、

パリは1.46メートルという结果が出ている。

地方の人が大阪に来てまずカルチャーショックを受けるのは、歩行中にあとからあとから人

に追い抜かれていくことだという。

大阪人は、ひとよりちょっとでも前に行った方がトクや、という强い思いこみで生きているのかもしれな

い。

信号に対する意识でも、大阪は特异なエリアである。

黄色を见ると一般人は「あ、もうすぐ赤に変わるから気を付けよう」という意识を持

つが、大阪人は「まだ、行ける」と思うのだそうだ。

このように、大阪人の时间感覚というのは、いつも小走り状态なのである。

吉本风に言

うと、头のなかでつねに、「あ、忙し、あ、忙し…」というセリフがリフレインしている状态が、大阪人の日常といえる。

食のシーンで大阪人

に多いのは、店の人が案内もしていないのに、胜手に席について、前の客が残していった食器をちゃっちゃと片づけだすタイプの人で

ある。

食器の山をテーブルの隅に积み上げて、しまいにはダスターを持ってテーブルをきれいに拭きあげてしまう。

ウエイトレスがイヤな

颜をしていると、「ねえちゃん、ワシがあんじょう片づけといたったで。

あとで、バイト料もらわんとな、あははは…」と、一人でボケを入れた

りもする。

いらちは、浪花の町人文化が育んできた、大阪人のおちゃめなサガである。

だからみなさん、いらちな大阪人を见つけても、それが普

通だと思って、大目に见てやってください。

しゃあない

◆ある夫妇の会话

「なあアンタ、こないだ买うたセーター、一回洗ろたら、メチャ缩んでし

もた」

夫「なに、まだ1回しか着てへんやんか」

妻「そやねん、お店に文句言いにいこか」

夫「ところで、なんぼで买うたんや、そのセーター」

妻「えっと、バーゲンで980円やったわ」

夫「そら、おまえ、しゃあないで」

「仕方がない」「仕様がない」というのを、大阪の人は普通「しゃあない」と言う。

「そうか、そらしゃあないな」とか「もうええ、しゃあないわ」

といった谛念の时に、よく使う。

しかしこれは案外含蓄のある言叶で、人生の酸いも甘いも知り尽くした大人が使うと、いろいろな意味が

含まれてきて、味がある。

例えば、英语でいうと、「soitgoes」=「そういうものだ」というニュアンスが含まれることがある。

関西弁ハードボイルドな用法で、ちょっと

いい感じだ。

あるいは、スペイン语の「ケ・セラ・セラ」といった意味が込められる时もある。

「なるようになるさ」という、ラテン系のポジティブな达観であ

る。

いま、ウルフルズが呗ってヒットしている「明日があるさ」も、これに近い。

「人事を尽くしたら、じたばたしてもしゃあない、あとはなるよ

うになるがな」というラテン大阪式合理主义がそこにはある。

「シャーナイ」という音感から、どちらかというと、やさしげな大阪弁に思われがちだが、これを最后の言叶として、开き直った时の大阪人

は、すごみがある。

河内の地侍、楠木正成しかり。

大阪のひとではないけれど、最后まで豊臣方に忠义をつくした真田幸村しかりである。

二人とも、きわめて冷静かつ现実的な状况分析で、歴戦を胜ち抜いてきた知将たちだが、歴史の歯车は最后には彼らを胜ち目のない

戦へと追い込んでいく。

実务家だけに、自分たちの负けは见えている。

だから、本当は戦いは避けたい。

しかし、运命はどうにもならな

い。

そこで彼らが选んだのは、「よっしゃ、しゃあないわい!

」という思考の切り替えである。

「いっちょ、一泡吹かせたろか!

」という、大阪

人特有の开き直りが発动する。

こうなった时の、大阪人は、タフで手强い。

事実、茶臼山に阵を张っていた徳川家康は、幸村の炽烈な突进から逃げに逃げて生き延び、生涯で最も恐怖にまみれた合戦として记

录に残している。

正成もまた、云霞のごとき敌阵に斩り込んでいき、壮绝な讨ち死にを遂げ、日本一の忠臣として后世に名を残している。

普段は、あほなことを言いながら、なんでも笑いにしている大阪人だが、「やるときは、やりまっせ」というのが、この言叶には言外に含ま

れている。

いかにも大阪らしい现実主义と、最后の最后まであきらめへんで!

というダイハードな性根が感じられて、噛めば噛むほど味

がでる言叶だ。

ほな

立ち食いうどん屋でおばちゃんと客の会话

客「おばちゃん、きつねうどん、ちょうだい」

おばちゃん「あ、ごめん、品切れや。

ちょうどいまお扬げサンが切れてん」

客「さよか。

ほな、たぬきでええわ」

おばちゃん「そやから、油扬げがもうないんよ」

客「そうか、残念やな。

ほな、きざみうどん!

おばちゃん「そやから、さっきから、油扬げが品切れやちゅうて、言うてるやろ!

客「じょーだんやん、おばちゃん。

怒りないな」

最近话题になっているのが、某ビールの宣伝で、中山美穂さんが怪しい大阪弁を駆使しながら、ネギ焼きをひっくり返すTVCM。

「え

えか、よう见とくんやで」とか「なーんで、わかったん」とか、コケティッシュな味が出ていてナイス。

ああやって东京美人が使うと、ふだん

何気なくしゃべっている言叶が差异化されて、「大阪弁て、こんなオモロかったんや」と、惊かされますね。

というわけで今周は、大阪人ならふだん何気なく使っている「ほな」を取り上げてみました。

ほな、ぼちぼち、行きまっせ。

「ほな」は、大阪弁のなかでも、使いでのある便利ワード。

シチュエーションに応じて、いろいろ使い分けることができるので、これがマス

ターできていれば、立派な関西人といえる。

外食シーンでよくあるのが、注文した料理が品切れになっているケース。

お店の人から「お

客さん、すんません、日替わりランチはもう品切れですわ」と言われると、すかさず「ほな、こっちの定食でええわ」と切り返すのが、一般

的な大阪人のパターン。

関东圏なら「じゃ、定食でいいよ」となるのが、大阪では「ほな」になる。

「ジャ」という歯切れの良い江戸に対して、

「ホナ」という空気の抜け方が、いかにも上方である。

九鬼哲学风にいうと、张りと意気地が通底している江戸の粋の文化に対して、察し

や含みを基调にした上方の甘え文化という読み方もできそうだ。

「ほな」の用法でいちばん多いのは、英语でいう「well」とか「then」にあたる使い方。

「それでは」「しからば」という、意味が込められている。

会议が长引いて煮诘まったとき、大阪では、最后にリーダーらしき人が「ほな、こうしよ」と、発案して、会议を缔めることがよくある。

こうい

うときの「ほな」は、人望のあるひとが使わないと、効果はない。

あるいはまた、いろいろ手をつくしたけど、「仕方ない」というニュアンス

でも使うことができる。

「ほな、もうええわ」といった使い方だ。

彼女がすねて、「ほな、もうエエ!

」と、ぷいっと颜をそむけると、彼氏が「そ

んなん言いないな、机嫌なおしてえな」ととりなしをしたりする场面だ。

一方では、たった二文字の言叶だが、万感の思いが込められるときもある。

亲しい者同士、永の别れになる场面。

「ほなナ、身体に気イ

つけてな。

顽张るんやで」「ほな、もう行くで、汽车が来よったさかいにな」と、大阪の船场に丁稚奉公に送り出す息子と母亲の别离シー

ンなんかでこれを使うと、大阪人の涙腺はもうウルウルくるのである。

友人同士が日常的に、軽く别れの挨拶をするときにも、「ほな」は軽快に使われる。

「ほな、明日」「ほな、また」といった具合で、英语で

いう「seeyou」「seeyoulater」などの成句と同じ。

「そろそろ」という顷合いの意味にも使われる。

「ほな、ぼちぼち行こか」というパターン

がそれ。

というわけで、ちょうど纸幅もつきましたところで、ほな、サイナラ。

さよか

◆インテリとおっちゃんの会话

インテリ

「自慢じゃないですが、私はこれでもフランス语が得意でして自慢

じゃないですが、私はこれでもフランス语が得意でして」

おっちゃん「きっちり自慢しとるやないか」

インテリ

「先日も、フランス大使馆のパーティに招かれまして、トレビアンな

方々と、ワインのお话しなどをしてまいりました」

おっちゃん「さよか」

「さよか」というフレーズは、浪花の商売人や落语家さんなんかが、よく使う言叶である。

でも、若者はあまり使わない。

これが板につくと、

とってもオヤジっぽく闻こえるからである。

使われるシチュエーションとしては、大きく2通りある。

人の话を、ふんふんうなずきながら闻いていて、最后に「あ、さよか~」と相づちを

うつパターンがひとつめ。

やや语尾を伸ばしながら、间を持たせ気味に言うと、それらしく闻こえる。

この场合の「さよか」は、その人の话に感心したことを知らせる、肯定的な用法である。

若者言叶でいま风に言うと、「へえ、そうなんや」

というフレーズがニュアンス的には近い。

もうひとつの用法は、英语でいう「NoThankYou」に近い、否定的な使い方である。

例えば、訳知り颜の人间が、とうとうと讲釈などをた

れだすと、ひと区切りついたところで大阪人は、「さよか」と一言で话を切り上げてしまう。

こういう时の発音は、あっさり早口に、ぽんと投

げだすような言い方になる。

言外に、「はいはい、わかりました」とか「ふん、なんぼのもんじゃい」とか「谁がおまえの言うことなんか闻くか」という、反感の意が含まれ

ているので、言われた方は鼻白んでしまう。

冷水を浴びせられたような感じだ。

商人同士の会话で、「さよか、ほな、考えときまっさ」といった口上が飞び出すと、商谈は终わりである。

「话はもうええから、はよ帰って」

という意思表示になるのだ。

东京の人は、「そうか、検讨してくれるんだ…」と勘违いしたりするので、注意がいる。

ちなみに、「さよか」の语源は、时代剧などでお武家さまがよく使う「左様か」である。

「さようでござるか」「しからば」なんて、しかめっつら

で言い合っている武士たちを、大阪の町人文化は、軽くいなしているかのようだ。

ついでに言うと、现代人が日常的に使う「さようなら」は、「左様なら」のこと。

「左様ならば(=それでは)これにてお别れいたしましょう」の

意味から転じて、いまのような「サヨナラ」へと変化していったそうです。

スマップの中居くんがよく、「左様ナリ」って使ってるけど、あれも

语源的には、正しいわけですね。

それではみなさん、サヨウナリ。

どないしたん

友人同士の会话

Aくん「やあ、Bくん、ええとこで会うたわ」

Bくん「わ、びっくりした。

こんなとこで何してんねん」

Aくん「いや、ちょっとワケありでな」

Bくん「せやから、どないしたん」

Aくん「これや、见てわからんか」

Bくん「何をさっきからずっと、バンザイしてんねん」

Aくん「もうお手上げやねん。

助けてBくん」

Bくん「………さぶ」

标准语でいうと「どうしたの」、英语でいうと「Whatisthematter?

」が、大阪弁では「どないしたん」になる。

「ど」と「し」に、ぐいっとアクセン

トを置くと、それらしく闻こえるはずだ。

「どないしたん」は、人情に厚い大阪人の特长をよく现した言叶のひとつだ。

例えば、谁かが青い颜をして苦しんでいるとする。

こういうとき大阪の人ならたいてい、「どないしたん、大丈夫か?

」と気遣う。

あるいはま

た、久しぶりに出会った旧知の人が、あまりに様変わりしていたりすると、すかさず「あんた、いったいどないしたん」と心配颜でたずねる

のが、大阪人のつねだ。

别の用法としては、自分の要望に対して、相手がとんちんかんなことをことをしている时に、この言叶が発せられる。

頼んだ仕事がまとも

にできず、ミスばかりしている人には、「どないしたん、あんた今日ちょっと、おかしいで」といった言叶が浴びせられる。

言外に「かなんや

っちゃな…」という怒りが含まれていたりする。

最后の用法は、いわゆるツッコミである。

二人寄ると大阪人は漫才になるとよく言われるが、たしかに大阪では、ボケとツッコミの役割分

担がごく日常的に、自然に行われている。

「あ、こいつ、ここでボケ入れとるな…」と察知したら大阪人は、すかさず「キミ、どないしたん

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